情報化時代の幸福観
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は「幸福」について考えてみましょう。
人間ならば誰もが幸せな生活を送りたいと考えるはずです。
しかしその「幸福」の中身は、人それぞれなのです。
どう生きれば幸せな一生だったと言えるのでしょうか。
過去の時代と現在とで、幸せの中身は変化しているのか。
それを探っていこうという問題です。
小論文としては、広がりのあるテーマなので、どういう切り口からでも書くことができます。
しかしそれではあまりにも採点が煩雑になりますので、課題文が出されます。
ある一定のワク組みを与え、その中でこの茫漠としたテーマを考えなさいというわけです。
課題文はそれほど難しい文章ではありません。
キーワードを最初に見つけましょう。
大切な表現は具体例にはありません。
必ず抽象的な一般論や結論の中に出てきます。
それをまず掴まえること。
その周辺にどういう問題意識を配置したら、小論文が書けるのかを考えてください。
この文章のポイントは、今日の情報化時代にあります。
そこで多くの人の働き方が変化したことを扱っています。
1つ目のキーワードは「情報化時代における仕事の断片化」です。
多くの労働者は自分の労働の意味を組織化することができなくなりました。
全体像を捉えきれないのです。
そのため、幸せは現在の自分とは切り離された別の場所にあると考え始めたのです。
2つ目のキーワードは「連続性」です。
仕事の意味がわからなくなった人々はどこへ向かうようになったのか。
筆者は社会学者の橋爪大三郎氏です。
課題文
昔は知的労働のホワイトカラーと肉体労働のブルーカラーの二つのタイプの仕事があって、マルクスも言ったように、ブルーカラーは断片化した単純労働であり、ホワイトカラーは統合された複雑労働のはずだった。
ところが、最近ではブルーカラーの仕事の大部分を機械が代行するようになり、ほとんどの仕事がホワイトカラー的な仕事になっている。
しかも、統合されていたはずのホワイトカラーの仕事の断片化が進んで、知的能力に関係なく誰でも出来るような仕事が多くなり、ホワイトカラーのプロレタリアが、あらゆる職場で大量にあふれることになったのです。
ホワイトカラーの職がどんどん地盤沈下を起こして、今や彼らから仕事全体を見通か感覚は失われてしまっています。
そうなると、仕事はやらなければならないからやっている、というだけのもので、いったい何のためにやっているのかはよくわからない。
これがいまの一般的な労働者の心の風景なのではないでしょうか。
そうすると、仕事場はできれば逃げ出したい場所でしかなくなる。
その気持ちをまぎらすために、外で色々なことをするけれど、次の日にはまた仕事場に舞い戻らなくてはならない。
毎日がその空しい繰り返しになっていく。
そういう人たちの特徴は、指示待ちということです。
自分の仕事を自分で組織できないから、言われるまで何もしない。
遊ぶにしても、集中力がないから一人遊びができない。
チームワークの能力もないから集団遊びもできない。
その結果、一人でもいられず集団の遊びもできないので、大勢でなんとなく群れているという状態になるのです。
しかし群れていても何もするわけでもない。
ただ群れていて、解散しても群れていたいものだから、お互いに連絡を取り合って、同じ群れだということを確認し合うことになる。
それでも彼らはそれなりに充足しているのかというと、決してそんなことはないのです。
こうした状態は、本人たちを苛立たせる。
というのも何が幸せなのか自分でイメージできないのです。
もちろんテレビドラマやいろいろな情報の中には、絵にかいたような幸せや幸せとされるものがあふれています。
ブランド品に社会的ステータス、いろいろありますが、ただ、情報には必ず裏情報というものがついてまわるのです。
あれほど立派でステータスのあった人が、実はハチャメチャな私生活を送っているとか。
憧れのスタイルを自慢していたスターが、実は拒食症で死んでしまったとか。
どんなに幸せな情報にも裏情報があり、素直には信じられないような構造になっていて、ではいったい何が幸せなんだろうかと、途方に暮れているのが現実です。
すると、普通に得られた情報の外側に、自分を幸せにしてくれる本当の何かがあるはずだと信じたい気持ちが起こってくる。
これが、今非常に多くの人達に見られる現象です。
彼らは焦っていて、現在の自分と切り離されたどこか全く別な場所に、幸せがあると考える。
そうなると、その幸せを求めて、現在の自分からジャンプしないといけなくなる。
人格改造セミナーにしろ海外留学にしろ、今人びとをとらえている幸せのイメージには、現在いる場所からジャンプする点に特徴があるのです。
この情報化時代、幸せは現在からの連続性の中で着実に築けるるものだと、なかなかイメージできなくなっているんですね
群れるという表現
この課題文を読んで自分もそうだとか自分は違うといった感想を持ったに違いありません。
どこに1番ひっかかりましたか。
「群れる」という表現に、抵抗があった人もいるのではないでしょうか。
スマホという情報機器は、SNSなどを通して簡単に群れることを容認してくれます。
ラインのグループなどという通信機能は、その集団の中に自分が在籍していることを、つねに自覚させます。
しかしそれだけで幸福感が得られるワケではありません。
今の生活から違う場所に出ていかなければ、真の幸福は得られないと考える人がいても無理はありません。
あまりにも外からの情報が表と裏を同時にもたらすという厄介な状況なのです。
そこから離れなければ、心の安寧が得られないと考えても不思議はありません。
筆者の意見に対して
文章を書く時、あなたの立場をどこに置くかが大切なポイントです。
筆者の論点の通りでしょうか。
それともこの課題文に示してあることには疑義があるとする立場ですか。
情報化時代の中であらゆる仕事が断片化しつつあるということについての賛否はどうですか。
仕事の全体像を掴み取ることがしにくいという論点についてはどうでしょうか。
内容を区切りながら、あなた自身との対比を明確にしていきましょう。
もし筆者のいう通りだと考えるなら、そこから抜け出るための方法論を考えてください。
連続性の外ではなく、内側に幸福を求める道とは何か。
それを模索するのです。
あなた自身の体験に基づく内容でもかまいません。
一方、筆者の論点に賛成できない場合、どこに違いがあるのか。
現代そのものの捉え方の誤りを指摘するのがいいでしよう。
誰もがそのような労働形態ではなく、仕事の中にも、あるいは他の面でも生きる実感を得ている人がたくさんいるという事実をおさえましょう。
ある程度具体例を示しながら、文をまとめていけば、説得力が増すと思われます。
どちらの立場でもかまいません。
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ただし現代という時代の背景をどこまできちんと把握しているのか、ということについては正確な記述が必要です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。