機会の平等
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はかつて広島大学総合科学部で出題された小論文について考察します。
セーフティネットという言葉を聞いたことがありますね。
自由競争社会の大前提は機会が平等に与えられていることです。
誰もが同じ土俵で競争することで、それぞれの能力を十分に生かせるのです。
しかし現実は必ずしもそうはなっていません。
そこで背景が異なる場合でも、補償する仕組みが必要となります。
失業保険や生活保護など、さまざまな手段を用いて、再び活動できる機会を持てるようにしなければなりません。
可能性を狭めてしまわないことが、セーフティネットの使命です。
ここではその最も基本となる「機会の不平等」を補償する仕組みとして、セーフティネットが必要かということを考えようというのが、基本的な論点です。
筆者は社会学者の佐藤俊樹氏です。
課題文は『不平等社会日本』(中公新書)からものです。
格差社会が言われて久しいですね。
今では中流という言葉が死語になった感すらあります。
貧富の差が増大し、正社員と非正規社員との差が目立つようになりました。
それだけではありません。
その背景が大きく変化しているのです。
親の収入が子供の学力を左右するという現象もあります。
さらには教育費の問題も深刻です。
親の所得格差が次の世代の学力格差を呼び、さらにはそれが次の貧困を呼ぶというスパイラルに陥っています。
そのような時代の中で、セーフティネットはどのようであればいいのか。
設問は短いです。
筆者の主張をふまえ、「機会の平等」についてあなたの考えを800字以内で述べなさい、というものです。
課題文を一部省略して、ここに紹介します。
課題文
セーフティネットについてはすでに様々な理論があるし、そもそも「セーフティネット」という言葉で何をさすのか、かなり混沌としている。
例えば、機会の平等で発生する貧富の大きな差を緩和する手段として、セーフティネットを考えている人もいれば、機会の平等を推進する手段として失敗した場合の保険が有効だという意味で、セーフティネットを考えている人もいる。
どちらであるかによって、機会の平等との関係性はちがってくるが、そのどちらにせよ、セーフティネットには独特な落ち着きの悪さがある。
機会の平等との組み合わせ方は色々あるにしても、セーフティネットがつくりだすもの自体はむしろ結果の平等に近いからだ。
それゆえ、セーフティネットは機会の平等にとって異質なもの、外在的なものと、なんとなく考えられてきた。
しかし、機会の平等が不確定性をはらむのであれば、その不確定性を吸収する仕組みの一つとして、セーフティネットを位置づけることができる。
そうなると、セーフティネットは機会の平等を保管する別の原理ではなく、むしろ機会の平等に内在する制度となる。
例えば、①ある世代で財や地位が配分された後に機会の不平等が発見された場合、それを補填するものともなるし、②数世代にわたって機会の不平等の原因となっているが是正するコストは極めて高いものがある場合に、それを解消しないまま競争社会をやっていることへの代償にもなりうる。
②の場合、現在の不平等度は当然知り得ないわけだが、20年という長い時間をかけて起こる世代間移動での不公平は本来取り返しがつかない。
それを考えれば、大きな不利益が起こる可能性はなくすべきだろう。
本当はこれらの場合には「セーフティネット」と呼ぶこと自体、適切ではない。
セーフティネットという言葉には「落ちた人用」という意味が必ず含まれるが、機会の不平等で不利益をこうむった人を「落ちた人」と呼ぶのは不当だからである。
だが、その呼び方の妥当性はともかく、「機会の平等社会にはセーフティーネットも必要なのではないか」という、多くの人が抱いている直感に対して、これは一つの解決を与えてくれる。
設問の意図を読みとる
基本的な論点を読み取ったら、次は設問に対する自分の態度を明確にすることです。
これが曖昧だと、なんのための小論文かわからなくなるからです。
ポイントは「機会の平等」についてあなたの考えを示すことです。
筆者の立場に賛成か、反対かという論点が可能です。
ここで筆者はどういう主張をしていますか。
まずそれをきちんと読み取ることです。
筆者は無条件にセーフティネットを整備しろと言っていますか。
もしそういう読み取り方をしていると判断したのなら、それは誤りです。
機会の不平等があり、そのために負けた人を「社会的な弱者」と考えてはいけないということを強く論じていますね。
だからこそ、「セーフティネット」が必要だと述べているのです。
「親ガチャ」という言葉があります。
自分の親の教育力や資産、地位などを含めて、諦めと自戒をこめた呼び方です。
この親の子なのだから、自分は今の状況を甘受しているというところでしょうか。
こうした考えを持つようになることを避けなければならないと、筆者は主張しているのです。
そのためにセーフティネットが有効に働かなければならない。
機会の不平等を補償する仕組みがどうしても必要であるという立場です。
この視点から文章を書くのであれば、筆者の論点にさらに足して、自分の経験などを付け足すことは可能でしょう。
反論する立場
逆に真っ向から反論することもできます。
これは鶏と卵のどちらが先かという論理です。
簡単にいえば、競争に負けたという事実は、機会の不公平から生じたものなのか、あるいは能力の欠如によるものなのかということです。
簡単にセーフティネットという構図の中に押し込んで、解決をしたような気でいると、あとで、大変なしっぺ返しをうけることもありうるのではないかという論点です。
つまり甘えることばかりを考え、勤勉に学習し、働くことをしなくなる可能性もあるのです。
どれほど、安全弁として行政が是正をしてみても、やはりそこから脱落していく人が出るのは、誰もが知っています。
なぜそうなるのか。
貧困層が次々と新たな貧困を生み出す背景には、何があるのか。
大変に難しい問題です。
いや、それでもだからこそ、救うための制度、システムは最低限、整備しなければならないという論点も可能でしょう。
どちらにふれても、ある程度の真実はそこに存在すると思われます。
ポイントはあなたの立場です。
採点者はどの視点を高く評価するでしょうか。
やはり制度が充実していれば、それだけ掬い取れる人の数も増えると考えるのが一般的です。
しかし従来の方法ではどうにもならないところへ来ているのも事実です。
シングルマザーの家庭などでは、電気やガス代の高騰などとあわせて、満足な食事も十分とれないという話を聞きます。
そのための子ども食堂や、食糧配布といったNGO活動も、ニュースで取り上げられています。
1度、アンダークラスと呼ばれる最下層に入ってしまうと、そこからバイパスを探ることも容易ではありません。
その意味で、あなたが見てきた現実や、経験がここで役に立つはずです。
どういう姿勢で臨んでいくことが、自分にとっての基本スタンスなのか。
あらためて確認してください。
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800字でまとめてみることをお勧めします。
今回も最後までお付き合い、いただきありがとうございました。