【感性の哲学・桑子敏雄】他者との距離を無視した文化は存在しない

学び

感性の哲学

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は文化論を取り上げます。

日本と西洋の文化を比較する評論はたくさんあります。

入試の小論文にも非常に多く出題されます。

ここでは「他者との距離」の取り方に関して考えてみましょう。

1番わかりやすい例は住まいの差です。

家の構造を見ると、文化の大きな違いがすぐにわかります。

「身体が住むこと」と「こころが澄むこと」について着目してみましょう。

さらにその差が明確になるのです。

特に戦後、プライバシーの考え方が強くなりました。

そのために現在の住宅ではドアの意味が重視されています。

かつてはふすまや障子ですませていたものが、今では完全に閉じられた個の空間を保証する壁やドアで構成されているのです。

床の間は今や、ほとんど消滅しかかっています。

課題文を読んでみてください。

その後で、問題を読み、どの角度から書けばいいのかを考えましょう。

筆者は哲学者です。

特に感性の重要性を説いています。

自然との共生こそが大切だとする東洋思想の考え方を重視しているのです。

西洋哲学の理性中心主義が、身体的、感性的な自己の重要性を軽視しすぎていると論じています。

日本人には割合素直に読み取れるのではないでしょうか。

課題文

深い文化と美しい自然との斬新な融合を理想とする定家の思想は、西行法師との出会いのなかで形成されたものである。

西行は、その思想を和歌によってつぎのように詠(うた)っている。

山ふかくさこそ心はかよふともすまであはれは知らんものかは

どんなに頭のなかで思い描いても、山深く住むことがなくては、そしてそこに住んで心を澄ますことがなければ、ほんとうの「あはれ」は分からないという意味である。

この歌は、日本の伝統文化のなかで「住まうこと」がもっている意味、「住まうこと」に含まれる身体のあり方の重要性を端的に表現している。

ここで「あはれ」が日本の文化の最高の感性的表現であることに心を留めておこう。

「身体が住むこと」は、「心が澄むこと」へとつながる。

心が澄むことは、心が落ちつくことであり、心の落ちつきは、身体の置き所がしっかりしてはじめて可能になるからである。

障子とふすまによって仕切られ、床の間をもった伝統的な日本建築の空間が各家庭から失われたのは、戦後高度経済成長の時代である。

それまで、家のなかを分けていた障子やふすまは壁にとって代わられ、ドアが出入り口につくられた。

障子とふすまの空間は、西洋的なプライバシーの思想からいえば、落ちつくことのできない空間のように思えた。

だが、考えてみれば、障子とふすまの空間では、そのなかのプライベートな出来事は聞かないことにし、見ないことにするという高度な抑制が要求されていたのである。

障子とふすまとは、他者と自分との距離の測り方を教えてくれる高度な文化的装置であった。

また、床の間には軸が掛けられ、花が活けられていた。

それは、どの個人住宅もそなえていた私設美術館でもあった。

芸術と自然の愛好がこの小さな、直接的な役には立たない空間によって演出されていた。

わたしの考えでは、床の間こそ、日本文化が世界に誇る最大の発明品である。

戦後の住宅政策は、個の自立を助けるという理由で、部屋を壁という遮蔽物によって囲い込んだ。

そうすることによって、プライバシーを確保した。

ところが、壁のなかで育ったこどもたちは、他者との距離の測り方を学ぶことができなくなった。

床の間はテレビの置き場所になり、アパートやマンションの建築からは、いつのまにか忘れ去られた

床の間に活けられた花が象徴する自然と文化の融合もひとの心から消え去った。

時を同じくして、「なんだか落ちつく」空間の機能もまた失われたように思われる。

設問

課題文を読み、あなたが考えたことを800字以内で書きなさい。

その際、「壁のなかで育ったこどもたちは、他者との距離の測り方を学ぶことができなくなった」という文章を説明しながら論じること。

論点はいくつかあります。

基本的に日本人の空間意識と西洋人の空間意識の違いを論じています。

どちらがいいのかといえば、筆者は日本型の文化と自然の融合を評価しています。

その証拠にふすまや障子の高度な意味を論じているのです。

この装置はそのなかで繰り広げられるプライベートな出来事とは無縁です。

何があっても聞かないことにし、見ないことにするという高度な抑制が要求されていたとあります。

まさに日本の王朝文学の系譜と言えるでしょう。

それに対して西洋の個人を尊重する考え方には、あくまでも他者との遮断を意味する装置が必要になります。

それが壁でありドアです。

より堅固であればあるほど、個人は守られるという感覚なのです。

さらにいえば、床の間の存在があります。

私設美術館としての意味合いもそこにはこめられています。

無用の用という言葉に全てが集約しているのではないでしょうか。

直接的には何の役にも立たない空間が、逆にいえば、心の落ち着きを保証したといっても過言ではありません。

どの立場から書くか

筆者の論点をそのまま追従したのでは、高い評価を得ることは難しいです。

西洋の考え方を高く評価することによって、筆者の文章との対立点を明確にするという書き方も可能でしょう。

しかし一般的にはここまで筆者が押してきたという内容に真っ向から反論するのは、なかなか難しい側面もあります。

こういう時には、筆者の考え方を取りつつ、さらにそれを後ろや斜めから補足するという立場が1番書きやすいと思われます。

ただしYesだけを連発してはダメです。

そこに対立軸を明確に示す必要もあるのです。

自分の家に床の間があるかないかといった具体的なテーマも生きてきます。

かつてあったのにそれを押入れに改造してしまった。

あるいは課題文と同様、テレビの置き場所にしている。

そのことで、あなたの心の中がどのように変化したのか。

それをじっと見つめてください。

元々、床の間のある部屋は客人をもてなすための最上の空間でした。

床の間を背にする人が最も身分の高い人だったのです。

SEVENHEADS / Pixabay

領主など自分よりも身分の高いお客様を迎え入れるために、庶民の家にも床の間が作られました。

かつては外の縁側にあったものが、やがて屋内に入ったと言われています。

床の間の装飾も、美意識の出現でした。

かける軸1つにも、主人の人格や審美眼までが問われたのです。

自然との調和を重視した寝殿造りから書院造り、数寄屋造りへと。

今日、心を落ち着かせる場所が少なくなりつつあります。

失ってはじめて知る意味もあります。

自分の心に素直に響く文章を書いていけば、採点者の目にとまることは間違いありません。

1度、このテーマで文章を書いてみてください。

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書き終わったら、音読してみましょう。

助詞の使い方に十分注意すること。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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