二項対立
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は高校の教科書に所収されている山田登世子氏の文章を読み解いてみましょう。
タイトルは『贅沢の条件』です。
論文には多く二項対立の構図が使われます。
2つの概念を提出し、両者の間にある矛盾や対立をよりクローズアップして、問題の本質を探るパターンの文章です。
元々は1つの概念であったものを2分することにより、矛盾と対立を拡大する関係へと持っていくケースもあります。
よく使われる対立には次のようなものがあります。
これはディベートなどでもよく使われる概念です。
1度くらいはやったことがあるのではないでしょうか。
違いが大きければ、対立する概念も捉えやすいです。
陸と海、子供と大人、臆病者と英雄、男らしさと女らしさ、既婚者と独身者、白と黒、運動と静止、明と暗などです。
かつてある新聞社の入社試験にも「表と裏」などという問題が出たことがありました。
その年に受験した生徒が、後に雑談の中で明かしてくれたものです。
二項対立は、言語学者のソシュールや人類学者のレヴィ・ストロースなどの構造主義の学者に由来する分類概念です。
評論には非常に多く使われています。
それだけに小論文を書く時も、このポイントを見逃してはいけません。
難しいのは、両者の境界がはっきりしないケースの時です。
例えば、「陸と海」という二項対立の場合、「海辺」はどちらに入るのかといった問題も考えられます。
海辺は陸なのか海なのか。
境界線そのものを問題にするというテーマの出し方もあります。
かつて読んだ文章の中でいえば、松浦寿輝氏の『波打ち際に生きる』などは、まさに境界の問題に挑んだ評論でした。
対立する概念には社会の価値観が色濃く反映しています。
そこを問題視し、出題してくるのです。
それだけに時代感覚を鋭くしておく必要があります。
贅沢の条件
冒頭の部分から、少しだけ文章を書き抜きます。
じっくり読んでみてください。
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忙しいわたしたちのビジネス社会から失われて久しいもの。
それは「はるけさ」である。
遠い昔に起源をもち、悠久の時を経て現在に運ばれてくる、そんなゆったりした時の流れこそ、「贅沢の条件」なのだが、情報社会を刻むタイムはそんな悠長な時間ではない。
機械生産の世界を刻む時は、誰にでもわかる機械的時間である。(中略)
ビジネス社会の到来とともに、物語はすたれゆき、代わって登場するのは「情報」である。
教会の鐘の音とデジタル時計のタイム表示が全くちがうように、物語と情報も何から何まで逆の性質を備えている。
まず、情報は瞬時に遠くの出来事を伝える。
ニュースは「はるけさ」を奪うのである。
遠い過去の出来事も、メディアに取り上げられて番組化されると、「はるけさ」を失って視聴者に「身近な」出来事になってしまう。(中略)
メディア社会とは「近さ」の専制にほかならない。
手や耳や目といったわたしたちの身体状況とかかわりなく、スイッチ1つでわたしたちはすべてのものを「近く」にひきよせてしまう。
ケータイ電話は、この「近さ」の専制の完成だといってもいいだろう。
それらの情報メディアの特性は「近さ」と「親近感」である。
ちょうど、物語というメディアの特性が「遠さ」であり、「権威」であったのと対照的に、物語はあらゆる意味で近づきがたい「はるけさ」と1つのものだったのだ。
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設問はこの文章を読んであなたが考えたことを文章にしなさいというものです。
自分の経験や体験を必ず書き込むことというのも条件の1つです。
冒頭に提示した二項対立がみつかりましたか。
それをテコにして先へ話を進めるのです。
贅沢の条件として筆者があげたのは「はるけさ」でした。
その対極にあるのが、現代の時間感覚です。
「情報」は瞬時に時間と空間を飛び越え、「近い」ものです。
それはむしろ専制に近いとさえ言っています。
親近感は求めるものへの一途な心を奪い、ただの情報と化してしまいます。
そこに権威のかけらもありません。
その反対側にあるのが物語です。
すたれていった過去の遺物なのです。
現代を生きる私たちは、ビジネス社会の時をとめて、いわば「退屈な時間」にドロップアウトする勇気を失っています。
お金では買えないものとは何かという、「時間」との交換に値するものを自分の中で探し求めていかなくてはならない試練の場にさらされています。
それを見つけるのは容易ではありません。
当然、1人1人にとって全く違うものです。
その場面にどうやって内容を引っ張っていくのかということが次のステップになります。
あなたの中で「はるけさ」を感じさせ、さらに時間の感覚をむしろ悠久の方へ引っ張っていくものは何ですか。
そこに身を委ねることが、なにより心地よく癒しに繋がる。
そういう経験が自分の中にあるか。
それを探してください。
大きなポイントはまさにここです。
自分の経験として書けることがあるのかどうか。
採点者を納得させられるだけのものが示せれば、評価も一気にあがるでしょう。
ネットの限界
「はるけさ」という言葉をキーワードにして、文章を綴ることが大切です。
その時、真実性ということを頭にしっかりと入れておかなければいけません。
二項対立の観点からいえば、当然「瞬時の情報」がそれにあたります。
筆者の文章に次のようなものがあります。
その部分だけを書き抜きます。
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テレビやインターネットをとおして、わたしたち全世界のニュースを瞬時に知ることができるが、その知識は、わたしたちにいかなる経験的な知恵も与えてくれない。
だから、知恵を得たければマニュアルに頼らざるを得ない。
ところが、物語は、わたしたちの経験を養い、知恵を授ける。
それはじっと耳を澄まして聴くわたしたちの身体のどこか深いところで記憶されて、教訓的な知恵を培ってくれるのである。
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最初の文章にある、テレビやインターネットからは経験的な知恵を学ぶことができないという表現の意味がわかりますか。
ここにぜひ着目してください。
長い時間をかけて身体に沁みこませていった記憶は、やがて本当の意味での経験知となり、最後には力を発揮するのです。
短時間でマニュアル化されたものには、それだけの質しかないということを意味しています。
それでいいという人もおそらく数多くいるでしょう。
しかし「贅沢な時間」をきちんと守りつつ、長い時の中で醸成されていく何かに命をかける人もまたいるのです。
どちらがいいのかは、まさに現代の二項対立そのものなのかもしれません。
文章を書く時、自分がどちらの立場にたつのかを明確にしましょう。
その結果として、何が得られるのか。
そこまでを見通して、文を書ききってください。
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中途半端なものを書くと、かえってつまらない文になってしまいます。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。