【小国寡民】老荘思想の持つ哲学の底深さを今というこの時代に考える

学び

小国寡民

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

この文字をなんと読むかわかりますか。

「しょうこくかみん」です。

「寡民」というのは少ない数の民衆という意味です。

「多寡」という表現を耳にしたことがあると思います。

数や量が多いとか少ないという意味です。

「寡」を使った熟語には「寡黙」とか「寡占」といったものがあります。

小国寡民というのは老子の哲学を象徴する考え方です。

書き下し文をみてみましよう。

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小国寡民。

什伯(じゅうはく)の器有れども用ゐざらしむ。

民をして死を重んじんて遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いへど)も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。

民をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民老死に至るまで、相往来せざらん。

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難しい言葉が並んでいますね。

しかし漢字ですから、なんとか意味が通じるのではないでしょうか。

現代語訳

国民が昔ながらの生活をし、食事や着ている服、住んでいる家や習慣に満足をしている状態を考えましょう。

このような環境下であれば、隣国が目と鼻の先ぐらいの距離にあったとしても、次のように行動するはずです。

国民は自分たちの国に満足をしているので、わざわざ他国まで出かけて行くこともありません。

結果的に、他国と比べることがなくなります。

自分たちにないものを求め、自分たちよりも持っている人たちを妬み奪おうとする心が芽生えなくなるのです。

当然、領土を拡大しようとする欲求も生まれません。

そういう世界が理想的なのです。

出展:「老子」(老子道徳経)

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老荘の思想は昔から引き算の哲学と呼ばれています。

前に向かってものを積み重ね、ひたすら進むという発想ではありません。

むしろ坂を下りるように無理をかさねずに生きていくという思想なのです。

人によっては随分後ろ向きだなと感じる人がいるかもしれません。

しかし現在の社会情勢を見た時、けっしてこの考え方を一言で否定することはできません。

海洋生物のみならず、地上の動物をも殺戮して生きてきたのが人間です。

さらに地球をこれだけ汚染し、地下資源を掘り進めてしまいました。

石炭に石油、シェールガスにまで手を伸ばしたのです。

エネルギーになりそうなものは全て利用してきました。

その結果として近代の産業が興ったのです。

しかし無惨にも地球の温暖化が一気に進んでいます。

SDGsに象徴される17の項目は、いずれももうこれ以上は先に進まずに自然と共存しようという流れなのです。

老子が語った言葉の内容が、そのまま今日の環境で生きる人々にとって喫緊のテーマになってしまいました。

理想的な国

老子の説いた「小国寡民」という考え方の基本は住民の少ない小さな国のことです。

文明があってもそれを用いる必要がありません。

富が偏在していないので、過剰な知識や欲望も必要ないのです。

衣食住すべてについて、それぞれの分に応じた暮らしが可能です。

現状に満足していれば他の地域に無理をして戦いを挑むという欲望も出てきません。

基本は少量生産と少量の消費です。

陶淵明が書いた『桃花源記』について、このブログでもご紹介したことがありました。

武陵の漁師が渓流をさかのぼって道に迷い、桃林の奥に戦乱を避けた人々の平和郷を発見したという話です。

厚いもてなしを受けて帰宅し、再びた訪れようとします。

しかしその村には2度と辿り着かなかったというのです。

桃源郷を描いた作品です。

小さな山あいの村に、わずかな人々が幸せに暮らしているという夢のような話です。

このブログでも記事にしたのでリンクを貼っておきます。

後で読んでみてください。

理想郷の1つとしてよく語られますね。

詩や画の題材にもよくされました。

今の成長至上主義を根本から見直したらどうかという発想なのです。

静かな村に少ない人々が身を寄せ合って暮らしています。

他の土地のことなどは何も知らず、羨ましいとも思いません。

これを読んだ時、そんな暢気な話が現代に再現できるワケがないと考える人が多いはずですね。

現代の日本はまさに小国寡民の対極にあると言っても過言ではないからです。

世界があまりにも狭くなりました。

情報が瞬時に地球を駆け回ります。

当然、他者の生活を覗き見る機会が増えるのです。

その結果が現在の格差社会です。

価値観の多様化

数%の人間が巨額の資産を持ち、さらにその資金が複利で膨れ上がっていきます。

人々はより都市部を好む傾向が強いです。

情報が集中し、医療機関などへのアクセスも容易です。

そのあげくに、都市への一極集中が極端に進みました。

人々は成長の神話に疲れやストレスを覚えつつあるのかもしれません。

反対の概念には『スローライフ」があります。

癒しなどという表現も頻繁によく使われるようになりました。

現代では物質的な豊かさが最上級の幸福とリンクしているのかどうかという根本的な問題が提議されています。

価値観が多様化しつつある時期だということがいえるのでしょう。

極論をいえば、「ものを持つ」ことに対する疑問が増しているのです。

断捨離という表現をよく耳にしますね。

ものに囲まれて窒息死状態にある家庭の様子を象徴している言葉です。

ものを持つことがそれほどに格好いいことではなくなってきました。

北欧風のシンプルライフを1つの理想とする人も増えています。

新しいコンセプトでつくられるお店は、色合いも静かで、柔らかい照明を使ったところが多いです。

アメリカンカジュアルやカントリーと呼ばれる文化の流れとは対極にあるものです。

引き算の思想で暮らしを豊かにしていくという方向へ間違いなく、今後世界は進んでいくでしょう。

つまり下り坂の中に美を見いだす時代がやってきたのです。

老荘の思想が、それを背後で支えている気がして仕方がありません。

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小国寡民という表現は随分難しいようですが、その内容は現代をいきるあなたがめざしているものともしかしたら同じなのです。

今回も最後までお付きあいいただきありがとうございました。

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陶淵明作『桃花源記』は大変美しい作品です。不思議な味わいに満ちています。桃の林の中を突き抜けていくと、そこには全く見たことのない光景が繰り広げられていました。まさにユートピアそのものだったのです。作者は何を言おうとしたのでしょうか。

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