熾烈な受験戦争
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今年の入学試験もほぼ終わりました。
結果はどうだったでしょうか。
あとは発表を待つだけだという人たちもたくさんいることでしょうね。
毎年のことながら、たくさんのドラマが生まれます。
かつて韓国へ修学旅行の引率で行ったことがあります。
ちょうど「修能(スヌン)」の少し前でした。
日本の大学入学共通テストと同じようなものです。
年に1度の全国共通大学入学試験です。
受験戦争の厳しさは日本以上とも言われています。
それを象徴するのが11月中旬に行なわれる「大学修学能力試験」です。
大学進学に向けた最初の登竜門といえます。
各大学では「修能」終了後に面接や小論文などの2次試験を実施します。
そのための関門が「修能」なのです。
韓国の受験戦争は熾烈そのものです。
ほとんどの職業が大学の序列で決まってしまうという話を聞きます。
いくつかの有名大学を出ていないと、なかなかいい企業に就職できないそうです。
バイパスルートがほとんどないのです。
親は子供のために大変な労力をかけて塾や予備校に通わせます。
その費用はとんでもない金額になるとか。
ゆとりがある家は、海外の有名大学へ留学させたりもします。
たまたまあるお寺を訪ねた時のことです。
たくさんの母親たちが一心に本堂で合格祈願をしているところでした。
親が最後にできることは神仏に祈ることだけなのでしょうね。
これはどこの国でも共通のようです。
試験当日
日本でもよく話題になりますが、試験当日は公務員の始業も遅くなるとか。
遅刻しそうな受験生を警察官がパトカーで送るといった話もよく聞きます。
高校の後輩たちが、大学の門前で先輩である受験生を励ます光景も見慣れたものになりました。
親たちは入学したい学校の門や塀にお餅をつけるという話を耳にしたこともあります。
べとべとしているのでくっつきやすいですからね。
つまり志望校に合格できるようにという気持ちなのです。
人生の全てをその日の試験にかけるというのはどういう心境なのでしょうか。
ソウルには受験生用の学習塾がたくさんあるそうです。
試験地獄がなくなることはきっとないのでしょう。
日本もそうだと言われれば、確かに似たような部分はあるかもしれません。
しかし韓国に比べれば、いくらか緩いかなというのが実感です。
卒業した大学だけで残りの人生が全て決まるというようなことがあるのかどうか。
儒教の教えの濃い韓国とは、いくらか事情が違うようにも思えます。
職業の貴賤などについての考え方も日本人とは違います。
考えてみれば人生は試験の連続なのかもしれません。
ぼく自身、今までにいくつもの試験を受けてきました。
そこそこ努力はしたつもりですが、たいていの試験に失敗しています。
その中のわずかな試験に合格し、なんとか今生きているというのが実情です。
しかし韓国も中国も途方もない試験をずっとごく最近までやっていました。
科挙がそれです。
その流れを理解しないと、80%の人が大学へ進学するという現実の意味を理解できません。
科挙とは
韓国では新羅の時代から科挙制度が導入されてきました。
官僚を選ぶ国家試験です。
中国も同様です。
6世紀の隋の時代に導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いた制度なのです。
ものすごいですね。
高級官吏になるための試験です。
日本で行われている国家公務員上級試験、いわゆるキャリア試験と考えればいいでしょう。
合格した後の出世のはやさも科挙にどこか似通っています。
ただしケタが違います。
試験内容は儒教の経典に対する理解が全てです。
この試験のすごいところは、試験に合格すれば身分を変えることができたということでした。
韓国には複雑な身分制度がありました。
一生賤民として苦労するくらいなら、学問に打ち込み頑張って身分を変えたいという人々が現れ続けたのです。
その考え方が現在の「修学試験」に受け継がれているとも考えられます。
多くの優秀な子供達は小さな頃から科挙の試験を目指して勉強させられます。
村をあげて子供を育てるということもありました。
年齢制限がないため、悲劇もたくさん生まれたのです。
中国の科挙を例にあげましょう。
最初の関門は県試(童試)、府試、さらに院試です。
これに合格して、はじめて科挙の本試験に進む資格が与えられます。
ここで不逮捕特権まで手に入れられるのです。
すなわち官吏の末席に連なるというわけです。
院試の合格は捷報という劇的な方法で行われます。
府城の早馬が2通の捷報を携えてその家を訪れ、合格を告げるのです。
ここからがいよいよ科挙の本番となります。
さらに郷試、順天会試、最後に皇帝の前で行われる殿試へと続くのです。
郷試に合格するとその名は龍虎榜に連ねられます。
大変名誉なことなのです。
山月記
中島敦の『山月記』に出てくる主人公李徴は若くして名を虎榜に連ねたとあります。
よほど優秀な人だったということが、それからも推察されます。
順天会試は3年に1度、首都に郷試合格者だけを集めて行われました。
巨大な問題用紙にまず目を通すだけで大変なことです。
試験は独房のようなところで何日にもわたって行われます。
その間、退出は許されません。
食事、夜具など全て持参するのです。
第1日目の試験は「四書」から3問。
1題につき700字以内で解答します。
そして主題と音韻を指定した詩作が1篇です。
答案用紙は下書き用が7面、清書用が14面、1冊に閉じてあります。
答案用紙に使う文章は唐以来の八股文と呼ばれるものです。
古典に通じていないと、全く歯がたちません。
さらには少しでも答案を汚したらそれ以後の解答は無効になります。
この試験では発狂者、死者も少なからず出ました。
最初の3日2晩の試験はこうして終わるのです。
こうして全科目が終わるのは実に9日後という苛酷な試験がやっと幕を閉じます。
2万人受験して200人合格という100倍の試験です。
ここを通過した者だけが、進士と呼ばれ最後に皇帝の前で行われる殿試に臨めるわけです。
なんと壮大で、ある意味ばかばかしい試験でしょうか。
この答案を読む作業もまたとんでもないものでした。
全ての答案をまず赤で写し直し、もしミスがあったらさらに黄色で校正し、名前は全て伏せ、最後に採点官に回されたのです。
そのために数千人の人が毎日、答案を写す作業だけに没頭しました。
採点官は4人。
全員が合格と認めなければ不合格です。
この後に続く殿試でその順位が決められ、ポストが配分されていくのです。
こんなことをしていたから阿片戦争が起こってしまったのかもしれません。
科挙については宮崎市定氏の『科挙』(中公新書)が一番読みやすいです。
中に面白いカンニングの実例なども紹介されています。
どうやらカンニングは古今東西不滅なもののようですね。
下着にびっしりと文字を書き込んだりして、本当に涙ぐましいものがあります。
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ここまでやらないと人間は生き残れないんでしょうか。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。