過去問のチェック
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
今回は昨年添削した問題の中で、今年も出題されそうなテーマをピックアップしました。
2021年度の入試にも必ず似たような問題が出ると思います。
大いに参考にしてください。
このサイトでも今までに過去問を多く扱ってきました。
しかし過去に行われた問題を分析することにどのくらいの意味があるのかという疑問も当然あるでしょう。
もう既に出題された問題がすぐに出ることはほぼないと考えるのが普通ですからね。
しかしちょっと待ってください。
とんでもない話です。
全く無意味だとしたら、多くの参考書はなんのためにあるのでしょうか。
過去問の問題集なんて消えてなくなっちゃいますね。
そうではありません。
実は毎年似たようなテーマが形をちょっとずつかえて出題されているのです。
ここ数年の間に出された問題は、今年もスタイルをかえて同じように出ます。
これだけは断言しておきます。
歴史のことを少し考えてみましょう。
なぜ歴史を学ぶのか。
答えは明らかです。
過去をきちんと把握していることが、未来への糸口になるからです。
同じような事件の起きた時、人々はどのように動いたのか。
その結果、どのような結末を迎えたのか。
ものすごく参考になりますね。
小論文も事情は全く同じです。
ここ数年に出たテーマは、今年も必ずどこかの学校で出題されるのです。
間違いありません。
アナログとデジタル
これから進学指導重点校、立川高校の過去問を見てみましょう。
2018年度のテーマは「デジタルとアナログ」でした。
課題文は永田和宏「知の体力」という評論の1部をとったものです。
アナログとデジタルの違いがどこにあるのかというのがテーマです。
私たちは当たり前のようにアナログとデジタルという言葉を使いますが、本当の意味を知っていますか。
ここからは問題文の内容を少しアレンジしながら解説します。
本来なら全文掲載すればいいのでが、それではあまりにも長すぎます。
必要な方は学校のサイトを覗いてください。
よろしいでしょうか。
以下に課題文の文章を活用しながら設問の紹介をします。
ご容赦くださいね。
さて「デジタル」はディジット。
指に由来する言葉です。
「アナログ」は連続量を意味します。
元々はアナ「類似の」、ログ「論理」に由来する言葉です。
ある量を別の何かの量に加えて表示することを意味するのです。
たとえば時計がそれです。
時間という連続量を文字盤の上の針の角度で類似させます。
あるいは温度を水銀の高さで近似させたりもします。
ポイントはどんなに細く区切っても量と量の間に空隙が残ることです。
全てを表現しきることはできません。
感覚としてアナログを捉えることはできても、表現することはできないのです。
表現しようとした瞬間、アナログからデジタルに変換されてしまうのです。
そこから言葉で何かを言いあらわすことがデジタル化そのものを意味するという筆者の視点の説明になります。
アナログ世界はつねに表現不可能性の中でだけ存在しているともいえます。
瞬時にその刹那の感情や風景を捉えていくという行為はデジタルそのものです。
言葉で切り取るとでもいえばいいのでしょうか。
ここまで理解できたでしょうか。
かなり難しい文ですね。
普段考えたことがない内容だという人もいるでしょう。
ポイントはこの後に出てくる「言葉であらわすということ」の意味です。
表現の意味を冷静に捉える
言葉で表すということは、対象を取り出して当てはまる言葉に置き換えていく作業です。
筆者は「外界の無限の多様性」を「有限の言語によって切り分ける」と表現しています。
つまりそれが言葉であらわすということだというワケです。
キーワードは「言葉のデジタル性」です。
どんなに瞬間を切り取ろうとしても、結局は不可能です。
本質的にこぼれ落ちてしまうものが山のようにあります。
それでも人はなんとか表現しようとする。
それはいったいどういう行為なのでしょうか。
そこを論じて欲しいというのです。
設問は「人はどのような点に注意してコミュニケーションをとればいいのか」「言葉のデジタル性」について説明した上で書けというものです。
字数は300~360字です。
これは難問ですね。
これほどに少ない字数でまとめるということはかなり実力がないと苦しいです。
話の展開に応じて段落に分けなさいという指示もあります。
実際どのように書けばいいのか。
わかりやすく言えば、描写が細かく、想起されるイメージが豊かな文章は解像度が高く、描写を省略した文章は解像度が低いということになります。
確かに言葉とイメージを限りなく近付けることは理論上可能です。
しかし完全に一致させることは永遠に不可能なのです。
言葉では表現しきれない多様性を互いに抱えた人間が、完全な形でコミュニケーションをとることはどこまでいってもできないでしょう。
とすれば相手に対する想像力を発揮する以外に方法がないということを指摘しなくてはいけません。
相手にきっちり近づこうとする意志力も大切です。
360字でまとめるとなると、「想像力」「意志力」などの表現をうまく使って文をまとめていく以外にはないと思われます。
言葉についての問題は毎年あちこちの学校で出題されます。
今年も必ず出ます。
高校入試では非常に出題されやすいテーマの1つです。
十分な知識を手にしておく必要がありますね。
知識の価値というテーマ
2018年度は野口悠紀雄の「知的進化論」による課題文でした。
知識の価値がインターネット時代になって無料で提供されるのがあたりまえになりました。
今後の世界において、知識の価値はどの程度のものになるのか。
人工知能AIの開発とあわせて論じるというものです。
人間が知識を保有する意味がどこまであるのか。
あるとすればそれはどこに見いだされるのかという問題です。
これも300~360字以内で答えよというのです。
制限字数の少ない問題ほど文章を書くのは大変です。
この文章の怖さは、つい一緒になってYesを連発してしまうことです。
確かに知識をいくら記憶してもコンピュータやAIに勝てるはずがありません。
だからもう知識を獲得する意味はなくなったという結論を出したのでは、絶対にダメです。
筆者は言外に学ぶことの意義を訴えているのです。
知識を得て、それを自分の中で体系化し、新たな知識とあわせて自己の世界を揺るぎないものにしていく。
そのための大切な土台を自ら切り拓き、築き上げていくことが大切だという事実を忘れてしまったのではなんにもなりません。
もう知識の獲得には意味がないとするなら、これから高校で学ぶ意味をどこに求めればいいのかということにもなります。
単純に筆者の表面上の論点にのせられることなく、自分の大切なものを守り切ろうとする姿勢をみせてください。
無理に大見得をきる必要はありません。
しかしただ諸手をあげて賛成するという態度はいただけません。
こうした論文をいくつも見かけました。
それだけ筆者の真意を見抜けない人が多かったことを意味します。
どこが大切なポイントなのか。
キーワードはなんであるのかを常に冷静に見て取るという態度が必要になるでしょう。
今回は言葉の問題と知識の価値について考えてみました。
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このテーマの問題はまだまだあちこちの高校で出ます。
自分の考えをこの機会にきちんとまとめておいてください。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。