受験脳は読書脳
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師経験40年のすい喬です。
ここ数年、高校受験、大学受験の様子も様変わりしてきました。
なぜでしょうか。
理由はさまざまです。
新しい教育指導要領。
新しい大学入試制度。
目の前でどんどん変革が進んでいきます。
いったいなんのために変わるのでしょうか。
少しその中身を吟味してみましょう。
一言でいえば、記憶型中心、暗記中心の勉強からの脱却です。
今までならば覚えていれば解けた問題が、たくさんありました。
しかしコンピュータ全盛の現代、単純な暗記力は不要になっています。
記憶演算装置のスピードは人間の脳をはるかに超え、AIが人間の脳を超える日も近いと声高に語られているのです。
どれほどすばらしい脳を持っていても、記憶力では最新のCPU(中央演算装置)には勝てません。
旧来型の学習方法からいかに抜け出るか。
それが今日の課題なのです。
2021年1月から始まる新しい共通テストのサンプル問題を見た人がどれくらいいるでしょうか。
2017年、2018年と新聞にも載っていました。
ネットでも見ることはできます。
勿論、ぼくも見ました。
解いてもみました。
問2「駐車場賃貸に関する契約書」の問題でした。
問1については40字以内、35字以内、20字以内、80~120字の4問。
問2は40字以内、120字以内、50字以内の3問が出題されています。
ただし大学側が記述式問題の成績をどう扱うかは不透明てす。
得点式ではないので、単純に加算できません。
試みに生徒にもやらせてみました。
結果は予想通りシビアなものでした。
なぜか。
今までのように評論や小説を読んで解答を求めるというタイプのものとは全く違います。
はじめて見た生徒はかなり戸惑ったというのが本当のところでしょう。
国語の場合、現行のセンター試験の80分から100分になります。
80字から120字で解答する問題が3問。
しかも点数ではなく、段階評価になります。
従来のように点数化されるのではありません。
センター試験では平均目標値が6割でしたが、新しい試験では5割になります。
現在、試行の段階なので軽々にものは言えませんが、従来型の勉強をしてきた人にとってかなりの重荷になるのは間違いありません。
与えられたテーマを分析して、その場で文章にする。
こうした訓練をこなしていないと、解答するのはかなり難しいと言わざるをえません。
それもあって私立大学の付属高校へ今のうちに入学してしまおうという流れも一方にはあります。
どうしたら本当の力をつけられるのか。
リテラシーの教育
長い間教員をしていて感じるのは、国語の教科書をつっかえずに読める生徒は総じて成績がいいということです。
文章を読む作業はつねに数行先を見ていなければ、うまくできません。
目の端に次の文章を入れながら、現在の行を読んでいくのです。
この作業が自然にできるためにはかなりの速度で本を読む訓練を日頃からしていなければなりません。
語彙力も問題です。
文法を理解し、文脈の流れもわかっていなければなりません。
まさにリテラシーそのものが必要なのです。
そんなことを突然いわれても、というのは当然です。
しかし学習の習慣というものは、一朝一夕に身につくものではありません。
環境がとても重要です。
覚えるより自分で考える力。
創り出す力。
本当の実力を社会も求めています。
ビッグデータを手にし、分析を加え処理する能力を持つためには、常に最新のシステムを理解するための能力が必要になります。
それがあらゆるシーンで有効になるのです。
読書のすごさ
そういう真の力を得るためにはどうすればいいのか。
まず第一に、日常的な習慣として文字を読むことです。
文字の持つ力を侮ってはいけません。
情報を瞬時に受け取って読み込み、理解していく力。
それが必要です。
しかしただ文字情報に触れればいいと言われても、どうしていいかわかりません。
夏前になると、書店の前に文庫本が一斉に平積みになるのを見たことがないでしょうか。
中学生、高校生向けに100冊の本をディスプレイするのです。
同時に、『新潮文庫の100冊』『カドフェス』(角川文庫)『ナツイチ』(集英社文庫)などといっ
た小冊子が無料で配られます。
これは読書感想文コンクールとリンクしたものですが。夏の宿題の課題になる学校もあります。
それぞれの小冊子に100冊ずつの推薦図書が紹介されているのです。
時代を反映して、必ずしも旧来の名作ばかりが並んでいる訳ではありません。
小説の他に評論、ノンフィクションなどもあります。
生徒に聞くと、1ヶ月に1冊読む生徒はかなりいい方です。
国語の得意な生徒は月に4,5冊は読んでいます。
一番最近読んだのは1年前だなどと豪語する生徒もいます。
それも宿題で出たから仕方なく最初の方だけ読んだというのです。
おそらく感想文はほとんどをあらすじで埋めたのでしょう。
現代はネット社会です。
ゲーム、SNS、あらゆる情報がネット経由で入ってきます。
時間がないというのが彼らの本を読まない理由です。
しかしこれはある意味真実であるものの、実はそこまで本にのめりこんだことがないという不幸な現実でもあります。
読書の経験を重ねることで、使う言葉が変化するのをすぐに家族の人は気づくはずです。
会話の内容も明らかに違っていきます。
時々、親がどきりとする表現を使うようになればしめたもの。
孤独、人生、人間、こころなど、さまざまなキーワードと向かい合います。
知らぬ間に、考える力がついていくのです。
自分で考えることを知ったら、放っておいても勉強を始めます。
この頃から考えるということの意味を知るようになるからです。
受験脳を超えて
サイモン・シンの書いた『フェルマーの最終定理』という本が今年も『新潮文庫の100冊』に載っていました。
ぼくが読んだのはもう随分前のことです。
この本を読んで真理を導くことの苦しさと楽しさを知ったら、もう受験脳のレベルをはるかに超えたということになります。
数学というより、数字の持つ不思議な世界に魅惑されるに違いありません。
目標ができればそれで十分です。
そんなに簡単にいうなと言われればそれまでのことですが、あとは自然にながれていきます。
自分のこころの中を冷静にみてとっていく作業が、あらゆる事柄の基礎になります。
ちなみに新潮文庫の中で、初版から2019年3月までで一番売れた本は夏目漱石の『こころ』だそうです。
高校の教科書に載っているということもあるでしょう。
夏休み前に2学期への準備として、読ませる教員もいます。
必ずしも名作と言われるものでなくてもかまいません。
その時、読みたい本が一番いい本なのです。
角川文庫のカドフェスには新海誠『天気の子』が最初に掲載されています。
どのような形でもいいのです。
そこが始まりです。
かつて親が世界名作全集を買って、子供に無理に読ませるなどという馬鹿げたことをしたという話もありました。
無理強いはダメです。
自分で買ってきて、自分の時間に読む。
黙っていても、楽しければ次の一冊にも手を出します。
そうした習慣が本当の意味の実力を養っていくのです。
時間がかかります。
だからといって読めと強制してはいけません。
親がたえず本を読んでいれば、子供は黙っていても同じことをします。
まず自分から。
買った本を積ん読という読み方をご存知ですか。
積んでおくと積ん読をかけて、こう表現します。
真の実力があれば、試験の形がどう変化しようと、何もおそれることはありません。
一度ゆっくりと自分自身の行動から思い起こしてみてください。
かならずいろいろと考えさせられることがあると思います。
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最後までお読みいただき、本当にどうもありがとうございました。
真の力をつけるのには時間がかかります。
それだけは最後まで忘れずにいてください。