宗論、かんしゃく、堪忍袋





「宗論」「かんしゃく」といえば、今や古典の部類に入る噺です。
先代文楽の「かんしゃく」や小三治師匠の「宗論」を聞いていると、実に愉快そのものです。
しかしできたのはそれほどに昔のことではありません。
作者はだれかといえば、ここにあげた益田太郎冠者その人です。

実に人をくったような妙な名前です。本名は太郎、1875~1953。
三井財閥の重役であり日本美術の一大コレクターだった鈍翁益田孝を父に持ち、自らも実業家として活躍しました。
さらに数多くの喜劇作品を手掛けた劇作家としても知られています。
なかでも一番有名なのが作詞をした「コロッケの歌」です。
一度くらいは聞いたことがあるんじゃないでしょうか。

今日もコロッケ、明日もコロッケで始まるユーモラスな味わいに満ちた歌です。
8月3日まで早稲田大学演劇博物館で彼の作品を集めた展覧会も開かれていました。
さらに『喜劇の殿様』という本も10年ほど前に、毎日新聞記者、高野正雄によって上梓されています。
こちらはまだ読んでおりませんので、いつの機会にかご紹介できればと思います。

さて、「かんしゃく」という噺はいかにも立派な会社の社長が自宅に戻ってくるところから始まります。
おそらく彼自身の経験によるものに違いありません。
娘の結婚生活の内情に入り込んで、夫婦の道を説く父母の横顔などが実に細かく描かれています。
そのあたりが今でも高座にかけられる所以でしょうか。

一方、宗論はキリスト教を笑いの対象にした、ある意味ではかなりキワモノ性の強い落語です。
ヨーロッパ留学をした中で、彼自身が感じた宗教に対する違和感を題材にして、この噺をつくったと思われます。
短い落語ですが、日本人の宗教観がよく出ています。
「宗論はどちら負けても釈迦の恥」「どの道を行くも一つの花野かな」
この表現の中に、もともと唯一神を持たない日本人の持つ曖昧な心性が仄見えます。

この他の作品では「堪忍袋」がよく知られています。
これも夫婦の機微を伝えた愉快な噺です。
遊雀師匠のがおすすめです。

さて今も毎日たくさんの新作が生まれています。
しかし、その中でどの噺が後々まで高座にかけられ続けるのでしょうか。
落語の命というものの難しさをあらためて考えてしまいます。

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