円朝の女





松井今朝子の本は以前にも『仲蔵狂乱』を題材にして、この欄でも紹介したことがあります。
この『円朝の女』もそうした系譜に属する本の一冊です。
ただし書きぶりは直木賞受賞作『吉原手引草』の方に近いかもしれません。三遊亭円朝という噺家に関わった5人の女性が登場人物です。
語り手は彼の近くにいた元噺家、五厘と賤称された今でいえばマネージャー格の男です。一人息子朝太郎を産んだお里という人もすごい人物ですが、吉原の花魁、長門太夫もすごい。
またひとかどの祝言をあげてお内儀さんと呼ばれたお幸という女。
最後まで圓朝の面倒をみた娘のせっちゃん。
といってもこの人とは血がつながっているわけではありません。いろいろと出てくる登場人物の中で一番興味をひいたのは、第一章に登場する女でした。
牛込軽子坂に住まいを持っていた田中という直参の娘、千尋です。
この地名は、牡丹灯籠を知っている人ならば、ああとすぐに納得させられるところです。当時、芸人と旗本の娘が恋愛をするなどということは考えられないことでした。
後に井上馨、山岡鉄舟、福沢諭吉などと懇意になった円朝ではありましたが、身分の差は歴然としたものでした。
そこに突然訪れた明治維新の波。
御家人たちの凋落にあわせ、千尋という女にも想像しえなかった激動がおとずれます。

淡い恋心を抱きながらも、それを口に出すことすらできなかった噺家の横顔が見てとれます。
時代の雰囲気が実によく出ている章です。

さてそんなこんなでしばらく彼女の著作を読んでいたら『師父の遺言』というとんでもない本が出版されました。
これは半分自伝です。
後半はおそらく強い恋愛感情を抱いていたに違いない、武智鉄二との出逢いを描いたものです。

京都南座近くの料理屋に生まれたというだけで、松井さんの形が見えてきます。かなり近い親戚に坂田藤十郎一家があり、小さいころから歌舞伎を見て育ったとか。
その後早稲田の演劇科を出て大学院に残りさらに松竹に入社するあたりの話はスピード感があって大変に面白いです。
そのうち、歌舞伎の構成から台本まで手がけることになり、さらには演出家武智鉄二に指名されて、彼のアシスタントから演出家への道を踏み出します。

さらに作家へと転身していく様子までをふくめて、この本は毀誉褒貶の多かった武智鉄二に対するオマージュに満ちています。
なるほどこういう環境の中で彼女の小説が生まれていったのだな、と納得させられるだけの内容を持っています。
『円朝の女』とあわせて、読んでみてはいかがでしょうか。
一期一会とはまさにこういう出逢いをいうのかもしれません。
これは自伝でもあり、熱い恋愛小説でもあります。

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