梅の家の笑子姐さん





柳家小三治師匠もかなりのお年になられました。
落語協会会長という大役を無事に果たされて、今頃は安堵なさっていることでしょう。
元々、噺家というのは一人稼業です。
まとまるはずもない。
そこをなんとか折り合いをつけていこうというのですから、かなり神経をすり減らしたに違いありません。
香盤ひとつかえるのだって、容易なことではないのです。
これからは少しのんびりとしていただきたいものです。

この『落語家論』という本は何度読んでも味わいに満ちています。
その中でも、最も好きなのがこの章です。
題して「梅の家の笑子姐さん」。

沼津労音の独演会にでかけた折、時間があったので、ボーリングをしていたら、そこにあらわれたのが梅の家の笑子姐さんだったのです。
「どうか、ちゃんと落語をやってください。お願いです。テレビに出て、ガチャガチャやってほしくないんです」
昼のテレビに出て、人気も出かかっていた小三治は驚きます。
年齢は17、8才に見えました。特に落語通という風でもありません。
彼女は自分を芸者の娘です、芸者なんですと自己紹介しました。

この言葉は彼の一番痛いところを貫きました。
その晩、会場へ入ると大きな新茶の缶が楽屋に届いていて、伺えなくて残念ですと伝言がありました。
のし紙に笑子とあったのです。

その後、半年して小三治は真打ちになりました。
落語以外の仕事をする時は、必ず彼女の言葉が胸にささったのです。
何度、住所を探して連絡をしても返事はありませんでした。
3度目の沼津独演会があったのは、それから15年ほど後のことです。

たまたまその話を高座でしたら、主催者の一人がその人をよく知っていると教えてくれました。
10年近く前に亡くなったとのことです。
それも風呂場で突然に…。
何が原因かわからなかったそうです。

梅の家に行ってお墓の場所を聞き、お花を供えたいと考えてはみたものの、どこかに照れもあって結局果たせませんでした。
「鰻の幇間」をやるたびに、小三治はいつもこの姐さんのことを思い出すそうです。
ちなみにその後日談は、「笑子の墓」というタイトルで、彼の著書『もひとつま・く・ら』に載っています。
こちらもあわせて読んでみてください。

この『落語論』という本には、彼の落語に対する愛情と覚悟が満ちあふれています。
特に前半の部分はいいです。
いい加減な気持ちで読むと、確実に蹴られて、言葉を失う羽目になります。

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