立川流はだれが継ぐ





また立川流の本を読んでしまいました。
なんとなくです。
反省をしております。

どうして手にとったのか。
この一門の系統が全て網羅されていたからです。
最初の弟子から、今の前座にいたるまで、なんと多くの芸人で構成されていることか。
その数に驚かされます。
皆が家元の芸に憧れて集まったのでしょう。
多分に成り行きでそうなったということはあれど、ここまでの集合体になれば、力も出てきます。

文字助や里う馬、左談次の頃と志の輔以降には厳然とした区切りがあります。
やはり寄席を知らないということが、大きな線引きの理由です。
しかしここまで師匠を怖れ、尊敬するという行為そのものが、不思議なものを見るような印象をもたせるのもまた事実です。
所載されている数多くの対談を読んでみれば、そのことがよくわかるはずです。

ところで、談志が亡くなった直後、NHKは小三治にインタビューを試みています。
その内容は、実になんともいえない味わいに満ちてもいるのです。
正面から否定はしない。
しかし認めているのかいないのか、実に曖昧です。

存在としては、大きい人だったんじゃないんでしょうか。ないんでしょうか、というのは多少投げやりっぽい言い方ですが、それは絶対的なものとは言えないというところがありますよね。それはあの人があまりにも個性が強かったというか、自分の好む形以外は認めなかったって言う人でしたから。あの人もいい、この人もいい、っていう考え方はできなかった人ですから。

例えば、どこかで、「(古今亭)志ん朝の落語をどう思う?」って聞かれたことがあるんですよ。まだ志ん朝さんが生きている頃ですよ。
「いいんじゃないんですか」って言ったんですよ。そしたら「本当にいいと思うのか」って。「いいんじゃないんですか、ああいう落語もあり、お兄さんみたいな落語もあり、色んな形があって、それが落語界を作っているのだから」と言ったら「すぐお前はそういうことを言う」ってとっても不愉快そうにしていましたね。つまり、私が「あれは駄目だ」と志ん朝さんのことを指して言えば、きっと、意気投合したかったんでしょう。

志ん朝さんが亡くなったときに言った言葉は「商売になる生き方をした」と言った。「はなし家として立派な人だった」という言い方はしない、でも世間の人は、はなし家としてとても商品になる生き方をしたって言うとそうだそうだ、と思う人がいて、彼の本当の心は腹の中では認めてなかったんでしょ。そういう風に言っちゃうと話が深くなっちゃうんですけど、落語家は自分以外の芸を認めないですから。これやんないと、一国一城の主として生きていけないですからね。人の芸をほめるということはとても難しいことですよ。そういう点をあの人は平気で振り回していたっていうのかな、だから、兄弟弟子としてこの人もずいぶんわがまま勝手に生きるもんだと思って。
でも端から見ると、わがまま勝手に生きている様がこれがすごくかっこよくてすばらしいとかって、理由をつけて好きになる人もいましたよね。でも、そのわがまま勝手が許せねえという人もいました。

いや、あの人ははなし家としては最高に才覚を持っている人ですよ、すばらしい才能を持っている人ですよ。ただ、私としては、そうですねー、議員なんかにならなきゃ良かったと思うけど。でもあの人はそういうことが目的で生きていたとも言えるんです。権力にあこがれていた人ですからね。そのために三遊協会分裂のもとを作ったのはあの人ですよ。ねえ、それから、結局は落語協会を飛び出して、立川流とかっていう、家元とかっていう名前を自分でつけたわけで、誰も周りがいったわけじゃねえのに。そういうところもあの人らしいなあって。苦笑いをして見て来たわけです。
でも、まあ、それを通したために、世間がそれを認めるというか、それだけのパワーを見せつけられたって言うのは、すばらしいんじゃないんでしょうか。どうでしょうか。そういう点には私はあこがれませんですけどね。

微妙な言い回しの中にある小三治の思いを想像する時、一つの時代が完全に終わったと思います。談志の名跡を誰が継いだにしても、もうあの立川談志はいない。その事実だけは重いのではないでしょうか。
落語が能のように衰退していく芸能であるのかどうか。
その問いも今はまだ途上にあります。

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