黄金餅





古今亭のお家芸ともいえる噺です。
五街道雲助師匠のホームページにある解説を載せておきます。

由来噺の一つで、内容だけとれば何とも陰気な噺であります。
亡くなった圓生師匠や正蔵師匠が演ったら聴いていられなかったろうと思いますね。
実際志ん生師匠の前まではそういう演り方だったんでしょう。
ただ、あたしはその原型を知りません。古速記も読んだことがないのですが、一体大師匠は誰に教わったのでしょうか。
途中、道中付けがあります。近頃はここを現在の地名で言い直したりします。
談志師匠あたりが始めでしょうか。
円龍さんは食通ですから旨いもの屋の店を並べたりします。
三木助さんは高速道路を通って麻布まで行きます。
が、あたしは別に道中付けには凝りません。本分はそこにないと思うからです。
じゃあ何処にあるのかと云われるとこれが分らない。
何処に主眼をおけば良いのか見当のつかない噺です。
もっともこんなのが末には繁盛するのですから目茶苦茶な話で、どうでも良いのかも知れませんけど。

雲助師匠もお手上げだというのがよくわかります。
この噺は陰惨なので、暗くやったらとても聞けるものではありません。
息子の志ん朝が親父とは違う味わいで、明るく演じきりました。
それがとてもいい出来になっています。

途中、道中付けがあります。
これは覚えるのがちょっと苦しそうです。
いろいろな人が様々なバージョンで挑戦していることは、雲助師が述べている通りです。
一番オーソドックスな志ん生のを載せておきます。

下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私もくたびれた。

下谷から麻布までの道のりはかなりのもので、歩いたら大変です。それも死人をかつぎながらですから。
この噺はどこが面白いのか本当にはよくわかりません。
しかし、こんな暮らしが江戸時代にはあったんだろうと十分に推測できます。
餡ころ餅の中に金を入れてそれを全部飲み込み死んでしまう坊主と、腹だけ生焼けにして、そこから金を盗ろうとする男の対比が見事です。
貧乏長屋の様子がいやというほど、感じられる噺です。
昨今では、高座にかける人が多いとか。
これだけの人物造形をするのは、さぞや大変なことと思われます。
近いうちに、チャレンジしたいものだと考えてはいますが、さてどうなりますやら…。

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