圓朝





圓朝忌が近づいてきました。
幕臣山岡鉄舟には公私ともに世話になり、今も谷中の全生庵に二人とも葬られています。
禅の道を教えてくれたのも鉄舟でした。
無舌居士の名を揮毫してくれたのも、鉄舟だったのです。

小説圓朝については、以前読書ノートに少し書きました。
その文章の一部をここに再録します。

この作品は1943年に出版されたものです。それを河出書房が復刻して文庫に入れてくれました。
圓朝について、多くを語る必要はないと思います。
幼い頃はいろいろな職業を転々としました。それが後に生きたというのもこの人の徳でしょう。画家の見習いまでしています。『牡丹灯籠』に出てくる様々な色の組み合わせや、『怪談乳房榎』の主人公、菱川重信の居住まいにも、それはあらわれています。
また『鰍沢』などの三題噺や『文七元結』などでも有名です。
彼が二代目三遊亭圓生の弟子となり、その後師から厳しく叱責され、また仲違いをしていくところなどは実に人間というものの複雑さを感じさせるのに十分でした。自分が話そうとしている噺を目の前でされてしまう悔しさ。それをばねになんとか自分の芸風を確立するまでの苦悩。おまえの芸は暗い、もっと明るくしろといわれ、青でもなく、赤でもない、紫の芸を身につけようと必死に稽古をするあたりは鬼気迫るものがあります。
最後には師匠と和解し、大道具や音曲などを使わない、いわゆる素噺だけで進めるという形式を確立するまでが描かれています。

正岡容(いるる)は桂米朝や小沢昭一の師匠にあたる人です。
その彼の先生にあたるのが小島政二郎です。

彼の『圓朝』と正岡容の作品とを重ねて読むと、この噺家の人となりがははっきりと見て取れます。
特に長男朝太郎の身の持ち崩し方を描いたところは出色です。
なんとか偉大な父親に近づこうとしながら、結局息子はそれを果たすことができません。無頼の仲間を引き連れてみたり、悪い女にひっかかったりしながら、放蕩の道を歩きます。
圓朝は靖国神社に参るために九段の坂を登る時、坂下に佇む股引姿の車夫、朝太郎をいつも目で追って探したといいます。

コメント