世界中で迷子になって 角田光代 小学館 2013年6月





 この人には独特の軽みがあります。それが時に意外な表情をみせるのです。文章にも飄々とした味わいが感じられます。
だから時々、読みたくなるのかもしれません。
ぼくはそれほどにいい読者ではありませんが、今までにも何冊か読んできました。やはり『八日目の蝉』が一番記憶に強く残っています。
旅行記は以前、この欄でも紹介したことがあります。『いつも旅のなか』という作品です。
アジアへの貧乏旅行の記述はなかなかに愉快です。安い宿の話や、トイレットの形状などについての蘊蓄には、つい口元がゆるんでしまいます。
後半は彼女の身のまわりにおこったさまざまな出来事を、ごくあっさりとエッセイにしています。普通の人間が普通の感覚で生きていたら、どういうことになるのか。そのあたりの微妙な感覚が面白いのです。
台所用品を買ったり、チョコレートを買ったり、サイトでネットショッピングをしたりと様々な行動にでますが、それがなんともいえない味わいを醸し出しています。

前半の文章で気にいったところがありました。書き抜いておきます。

人と知り合う、場所と知り合うということは、こういう(サイクロンで被害にあった人々のことを考え、胸がつぶれる様子=筆者注)ことなのだと思う。だれかと知り合い親しくなる、ということはかなしみの種類を確実に増やす。ミャンマーを旅しなかったら、こんなにも好きにならなければ、私はかなしみも衝撃も感じなかったに違いない。
ならば、だれとも、どことも知り合わなければいい、とは私は決して思わない。かなしみの種類が増えることは不幸なことではない。かなしむことができる。それを不幸だとはどうしても思えないのだ。

人として共感しあうこと、交感することの大切さを低い視線から見事に書き切っています。これからも彼女は書き手としてやっていけるに違いありません。それだけの目を確実に手にしています。
今回のエッセイでは、亡くなった母親に対する思慕の情をしみじみと感じました。