こういう了見





了見というのは、なかなか含蓄に富む言葉です。
思慮、分別ともいえるし、考えともいえます。
落語というのは、基本的に江戸言葉で構成されています。
だから現代の表現を使っちゃいけない。
特に明治期に入った翻訳調の言葉は御法度です。
たとえば、「結局」なんて表現を使うと、急に今になってしまう。
そういう時は「とどのつまり」というのです。

「いい気持ち」という表現を「いい心持ち」と言い換えます。
そうやって少し言葉をかえるだけで、噺に江戸の風が吹くのです。
難しいね。
というわけで、この「了見」という表現にぶつかりました。
本は面白いです。ぼくは2度も読んじゃいました。
特に一人真打で大変な思いをしたことをこれだけ赤裸々に書いた本はないんじゃないでしょうか。

菊之丞師匠は台所を全部みせちゃいました。
帝国ホテルでやった真打披露パーティに1400万円かかったこと。
ご祝儀も同額でした。
その後、毎日寄席でふるまった食事や酒、さらには弁当代が日に10万円単位で消えていったこと。
打ち上げでの費用がとんでもない額だったこと。

ついに借金を背負い、その一部を返済するために、母親が生命保険を解約してくれたこと。
他の噺家たちはすぐにかかった費用のことなんか忘れた中で、最後までお金のことを心配して声をかけてくれたのは、雲助師だったこと。
円蔵師はいざとなったらいつでもおいでよと声をかけてくれたこと。
その他、楽屋で出した弁当を途中まで食べて、再び密かに包み直した輩がいたこと。
それが文楽師の手元に届き、慌てて詫びにいった時の様子。

全編、ここまで書いていいのかという内容にあふれています。
でも師匠は落語が好きなんですね。
何度もなんどもつらい思いに会いながら、それでも捨てられない。
古今亭の亭号にしがみついて生きていくという覚悟もよく出ています。
その全てが「こういう了見」というタイトルに集約されているような気がしてなりません。
ほんとに落語という芸は罪作りですよ。

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