愛人 マルグリット・デュラス 河出書房 1994年9月





 久しぶりに読み返しました。この作家の文体にひかれるからです。一言でいえば、散文詩に近いと形容できるかもしれません。独特の文体です。過去と現在が入り乱れ、けっして読みやすい小説ではありません。
彼女の文章にはいつも死の匂いが染みこんでいます。それが懐かしい響きをともなって遠くから聞こえてくるのです。
初期の傑作『モデラート・カンタービレ』では労働者階級の男との恋愛が描かれました。『愛人』では彼女の出自が仄めかされています。
もちろん、これを自伝だなどと安易に捉えることはできません。そこには巧妙なフィクションの罠がいくつもしかけられているのです。
この小説の舞台はデュラスが幼い頃過ごしたベトナムです。母への記憶、兄への追憶の中で自分がどのように少女時代を過ごしたのかということが語られます。
もっともよかった時代。それは母親が小学校の校長として働いていたわずかな時期でした。その後、海水につかってしまう農耕地を買わされ、何度もの訴訟もうまくいかず、生活をどう支えていくのかということに翻弄される日々が描かれています。
そうした頃に出会った中国人の大金持ちにひろわれ、半ば愛人として金銭で買われていく自分自身を冷静に筆者は見つめていきます。本当の愛が何であるのかを知らぬまま、家族の生活を支えなければならなくなった主人公の魂がどのように彷徨ったのかということが、デュラスの筆によって縦横無尽に描かれるのです。
ベトナムの熱が文章の隅々から匂い立ってきます。みごとな文体です。ここではフランス人であること、白人であることがどのような意味をもつのかという自問自答も繰り返されるのです。
この小説はかなりの部分が自らの少女時代に重ねて書かれています。それだけに読んでいる間、痛みを感じない訳にはいきません。
後年、デュラスはその中国人にフランスでも会っています。その時の描写なども興味深いところです。
この作品の成功は文体に負うところが多いのではないでしょうか。ゴンクール賞を受賞し、さらに映画化もされました。しかしその出来にデュラス本人は大変不満であったと聞いています。彼女自身もメガホンをとり、何本もの話題作を発表しています。映画監督としての目が曖昧さを許さなかったのかも知れません。
彼女の恋人であったというヤン・アンドレアの記録やエッセイなどと一緒に読むと、さらに実生活の内側が浮き彫りになります。
デュラスの作品はヌーヴォー・ロマンと一括して呼ばれる範疇からは確実に抜け出ていると思います。現在読んでも少しも古びていないのです。この人は生まれた時から小説家でした。