いつも旅のなか 角田光代 アクセスパブリッシング 2005年5月





 旅行記というのはだいたいが自己満足に終わってしまうものです。そこによほどの共感を呼ぶだけの質がなければ、読み飛ばされるだけです。
読むに値するという数少ないものの中には司馬遼太郎の『街道を行く』なども入るでしょう。あるいは沢木耕太郎の『深夜特急』も入るかもしれません。すなわち、そこに人間そのものがいて、その目の確かさと同様に書いている作家そのものが真実揺さぶられていなければならないのです。
柵のこちら側から、中を覗き込んでたんに描写しただけでは、所詮ありきたりのものにしかなりません。
そうした意味でいえば、中上健次の『木の国根の国物語』などはルポルタージュではありますが、同じ範疇に入れられるでしょうか。
今回読んだこの本は、彼女が好きだというタイ、キューバ、ベトナム、イタリアなどとともに全く受け入れることのできなかった上海の様子などをありのままに書き込んだものです。
多分、感じたままだと思います。もちろん脚色は折り込み済みでしょうが、そこで感じた気分に嘘はないはずです。
それまでの貧乏旅行から、星のいくつかついたホテルに泊まってもいいのだと感じるまでには10年以上の月日が必要でした。
30才を過ぎて、自分が今までとおなじような一人旅ができなくなっているのを感じます。ここはまさに筆者のいう「つまらない」と思うようになった核の大切なところです。
それがどこからきたものなのか、それを検証しようとあせります。
一言でいえば、時間なのかもしれません。時間というものはありとあらゆるものを飲み込んでかたちあるものを全て変化させていきます。しかしここに在るという感覚の根源だけには手だしができないのです。たしかにそこに在ってそこで人々が繰り返し生きているという事実がどこまでも続きます。
その間に、自分も他者も変化していきます。
これといって見たいものがあるわけではないという旅が、これからも続くのでしょう。しかしその瞬間を切り取る感覚だけを信じて、世界を歩くということは、けっして無駄ではないと感じます。ふんわりとした感性に委ねただけといっていい旅行記です。読後感はしかしけっして悪くありません。
創造や感覚の萌芽に似たものを一緒に感じとれるからです。
作家の目があちこちに散らばっています。それがとても読んでいて心地よいのです。