茜色の空 辻井喬 文藝春秋 2010年3月





 以前途中まで読み進めましたが、その時はなぜか挫折してしまいました。今回なんとしても読もうと決心して、再度挑戦しました。なぜ、大平正芳なのかということが、前回は自分の中で噛み砕けませんでした。
今回じっくりと読み味わいながら、筆者が彼の生き様の中に何を見ようとしたのかを少しだけ垣間見た気がしています。
一言でいえば、政争の中を生きた政治家というより、人間大平正芳の持つ誠実で人徳のある側面にスポットをあてたかったのだなと納得したのです。苦労して一橋大学を出、さらに大蔵省に入省し、そこから出世していった男の記録として読めば、それはかなり平凡な物語なのかもしれません。
しかしこの人には役人臭さがあまりないのです。常に自分が守らなければならない業務の範囲を越えて、全体を隈なく見渡そうとする意志が強かったような気がします。それが池田勇人によりはやくから見いだされた理由かもしれません。
キリスト教徒だったという事実も、他の政治家とは一線を画しています。安保条約改定の時の官邸での様子や、沖縄返還の際の密約を田島という記者にすっぱ抜かれた時の対応、さらには田中角栄との関係など、政治はいつも理論だけで進むものではありません。
福田赳夫との軋轢などもほぼ感情のレベルにさかのぼって実に味わい深く描写してあります。
また妻との関係や、親類同様のつきあいをした女性、山村由美とのほのぼのとした愛情の交歓などは読んでいて、ゆっくりさせられる描写の連続です。
政治家になりたくてなったというより、天がそのようにしてしまったという側面の方が強いのかもしれません。総理総裁になってからもほとんど自由はなく、ただ何かに導かれて生きていったという印象が大変強いのです。
現職で選挙中に心筋梗塞で亡くなるという劇的な幕切れの部分も見事な描写です。人が生きるというのはどういうことであるのか。少しも自分の意志が働かず、ただ闇雲に進んでいった人のような気さえします。早くに死んだ息子の元に戻ることは、少しも苦痛ではなかったのかもしれません。
辻井喬の筆には叙情があります。それが読んでいて心地よさに繋がるのです。それにしても政治は非情なものです。あまりにもつらい事実の連なりが、読む者に哀しみすら覚えさせます。