夏目漱石を読む 吉本隆明 筑摩書房 2002年11月





 吉本が夏目漱石をどう読んだのかということに、大変興味を持ちました。これはよみうりホールと紀伊国屋での講演をもとにまとめた本です。ほぼ全作品について、吉本の理解を書いています。
一言でいえば、これだけの作家はそうそういないということでしょう。江藤淳の評論はほぼその全貌を伝えていますが、吉本隆明のこの本も全く別の角度から光をあてた作品と言えるのではないでしょうか。
特に親しい友人とその間に女性をはさむというストーリーが彼の根本にあったのではないかという指摘は大変面白いものでした。
西洋型の小説と違うのは、一人の女性をとりあうといっても、その二人の男性の間がごく親しく、時には同性愛的な傾向すらもっているということです。
その時に人間のエゴイズムがどのように浮き出てくるのか、あるいは原罪の意識がどこまで表面に浮かび上がるのかということに大変強い関心をもっていたということがわかります。
『三四郎』『それから』『門』ではことに『門』を高く評価しています。友人に自分の好きな女性を与えてしまった後、後悔して取り返しにいく代助が『それから』の主人公だとすれば、その女性を取り返したあと、どのようにして暮らしていったのかというのが『門』の中に登場する宗助の役割ということになります。
あるいは『こころ』では最終章に特に熱が入り、漱石という人間の持つ本質的な罪の意識がごく鮮明に出ていると筆者は主張します。
また『明暗』では遠くひいたところに漱石は位置し、お延と津田の夫婦の間に登場する以前の彼女、清子が、現在どのような心境にいるのかという点に話が集中していきます。
未完のままおわってしまったものの、漱石はどのように話をまとめあげたかったのか。彼ら夫婦の秘密をある程度知っている吉川夫人と小林という不気味な登場人物の中に、その後の不安が全て宿っているようにも思えます。
吉本は自由自在に漱石の作品の中を往き来し、彼の持つパラノイア的資質に着目します。そして鏡子夫人の持つヒステリー症状とあわせて、彼の文学を読み解こうとしている点も興味深いです。
また二人の男性と一人の女性という構図を戦後の日本の中で、中原中也、小林秀雄、長谷川泰子に見ようとした点も面白かったです。
漱石はやはり大きな金字塔に違いありません。鴎外と比べたとき、宿命に抗う人の苦悩をよくここまで真正面から描いたと思わざるをえません。
今後とも漱石とは深く関わっていきたいとあらためて思いました。