世界は分けてもわからない 福岡伸一 講談社 2009年7月





 面白い本です。分子生物学というぼくには全く縁のない世界を目の前に広げてくれました。ことに前作『生物と無生物のあいだ』と2冊をセットにして読むといいと思います。
前の本では、DNAのらせん構造を解析したワトソンとクリックの話が中心でした。生命とは何かという命題をどのようにしたら説明できるのか。そのことに苦心した過程を実にていねいに表現しています。
それは一言でいえば「自己複製を行うシステム」と呼べるものだというのが筆者の結論です。
生命とは自分の力で次々と同じ型を増殖していくパーツの複合体だったというわけです。そのために遺伝子レベルの研究の様子が、詳しく述べられています。ある種の遺伝子だけを無能にしたノックアウトマウスの生成の方法など、大変興味深いものでした。
さてその続編とでも呼べる今回の本のポイントはまさに第8章からエピローグにかけての部分です。
マーク・スペクターとガン細胞のリン酸化カスケードにまつわる話題は息をのむ迫力に満ちています。今日、分子生物学においてもっとも解明が急がれるテーマはガンの発生メカニズムにあります。それとの関係において、ES細胞もあるのです。
1979年、コーネル大学生化学研究室がその舞台です。エフレイム・ラッカー教授の部屋ではたくさんのポスドクが、それぞれのテーマを研究していました。
そこに彗星のようにあらわれたのが、若い大学院生でした。スペクターは教授の仮説にのっとった実験結果をわずか1年の間にものにしてしまうのです。通常ならば数年かけて1本の論文が書ければいいところですが、彼はその間に数本をしあげ、科学誌サイエンスに発表できるまでの精度をもったものに仕上げるのです。
ガン細胞がなぜ発現するのかは大きなテーマであり、このメカニズムが解明できれば、多くの生命を救えると信じられていました。そこに立脚した実験だったのです。
ところがある日、この研究では絶対に存在しないはずの同位元素が偶然、ガイガーカウンターを操っていた別の研究員によって発見されてしまいます。それをきっかけにして、この作業が全て偽造であったことが判明するのです。教授は失意のどん底に陥り、マーク・スペクター本人は失踪したまま、音信不通になるという、とんでもない結果となったのでした。
実験の様子など、細かいことは是非、本書を読んでみてください。難しいところもありますが、筆者の美しい文章には時に文学的なセンスを感じます。
世界は分けてもわからないけれど、しかし分けなければやはり分からないというのが、結論なのかもしれません。前作に引き続き、多くの読者を惹きつけているという理由が、よくわかります。理系の人でなくても十分に興味をそそられる2冊だと思います。