断腸亭日乗を読む 新藤兼人 岩波書店 2009年5月





 岩波現代文庫にはユニークな本がたくさんあります。絶版になってしまって他ではなかなか手に入らないものなどを探すのに好適といえるでしょう。その中に永井荷風の関係の本が数冊あります。川本三郎や、菅野昭正のものなどです。
しかしなんといってもこの著者の本は面白い。映画監督歴はどれくらいなのでしょうか。彼の本も随分読みました。女優乙羽信子さんとの長い恋愛遍歴などを書いたものもいくつかあります。また映画監督溝口健二についてまとめた本もあります。
かつて「裸の島」を見た頃のことや「午後の遺言状」の内容なども懐かしく思い出しました。
さて今回は『断腸亭日乗』です。永井荷風の日記を読み解いていくという実に見事な本です。
彼の代表作『濹東奇譚』とからめあわせて、映画制作にあたった時のエピソードなども書き込まれています。
新藤兼人という人はとにかく自分の足で歩きます。彼が通った玉の井の私娼窟を再現するべく、荷風がいつも食事をしたという豚カツ屋さんまで探し歩きます。その執念が、唯一の日記を読み解くという作業にもあらわれています。
特に戦争前後の章が出色です。財産を持っていた荷風が家を焼かれ、岡山に疎開していた谷崎潤一郎を訪ねる段などは、一服の絵をみているようです。
尊敬している先輩作家のために谷崎はできるだけのことをします。食事も当時としては考えられるだけの配慮をしました。特に酒や牛肉を数キロも手に入れるなどということは、もう夢物語に近かったのです。
谷崎は松子夫人を差配し、先輩に失礼がないよう十分にもてなします。
しかし荷風にとってそれは重いものでした。ここに長く厄介になることはできないと数日で岡山をひきあげます。
このあたりの日記の読み取りは実に面白いです。
さらに荷風という人の女性遍歴も実にみごとに描いています。これは本書にあたってもらう以外にないでしょう。その数といい、女性達に与えた金銭の額といい、図抜けています。また女性の存在をどのようなものとして認識していたのかも明白です。
彼と社会との関わり、戦争との関係、さらには国家というものをどのような考えていたのかということも手にとるようにわかります。
『濹東奇譚』の中で、玉の井のお雪と巡り会うシーンなどは何度読み返してもいいところです。
ぼくも一度、玉の井を訪れたことがあります。ここは今でも細い道の横町がつらなり、いかにもそうした場所だったことを彷彿とさせる風景があちこちに残っています。
新藤監督は永井荷風を利用して、自分を表現しようとしたに違いありません。しかしそれでもなお、読まされてしまうところに、荷風という小説家の特異性があったのではないでしょうか。
かつて授業で一度だけ、取り上げたことがあります。しかし女生徒の評判はあまり芳しいものではありませんでした。この小説の醍醐味を理解するためには、長い時間が必要なのかもしれません。
とにかく面白い本でした。この本の元になった岩波ワイド版の『断腸亭日乗』上下は大変活字も大きく読みやすいです。ぼくも時々、引っ張り出してはあちこち飛ばし読みをしています。