流れる 幸田文 新潮社 1993年5月





 文章のうまさに目を見張りました。ここまで観察眼が鋭いと、生きていくのが苦しかったのではないでしょうか。思わずそう感じました。父幸田露伴に家事全般をしつけられた様子は、彼女の随筆のあちこちで読み取ることができます。
それらの全てが結晶した小説ということになるのではないでしょうか。傾きつつある柳橋の芸者置屋が舞台です。そこに住み込みで働くことになった女性の目を通して、女達の世界がこれでもかと描かれていきます。
言葉がとにかくすばらしい。東京弁というのか、下町言葉が練り上げられています。芸者の風俗というものへの物珍しさだけで最初は読み始めますが、その人間観察力には驚かされます。
置屋というものの持っている曖昧模糊とした側面が、いくつものエピソードによりあぶり出されてきます。芸にいきる女達にとってしろうとの世界はあまりにも遠く、そこから這い上がっていくには、結婚という途方もなく遠い世界しかありませんでした。正妻の座を射止めるということは、それだけで夢物語に近いことだったのです。
小説の中には警察沙汰にもなる恐喝の場面も登場します。さらには税務署の査察も入ります。そんなこんなで、いよいよ店は傾き、川向こうに引っ越す日がやってくるのです。
しかし主人公は新しい持ち主に経営の才能を見込まれ、本当にしろうとの世界からやってきたにも関わらず、こちらがわのしたたかさの中で生き抜いていこうと決心します。夫と子供に死に別れた不幸な女は、今までと全く違う新しい場所での旅立ちを目指します。
芸者達の日常風景には愛すべき要素がたくさんあります。それをこれでもかとみせつけられました。家庭におさまることが通常の価値観であった時代に、大きくそこからはずれた人々の悲哀が文中から滲み出ています。
芸に対する執念、お金に対する考え方、着る物への執着。あらゆるものが珍しく、内側に閉じられた世界の話だけに、どんどん引きずりこまれ抜けられなくなっていきました。
言葉の美しさ、見事さにも感動しました。
幸田文に対する考え方も随分とかわりました。名作です。怖ろしいまでの視力だと感心しました。
この小説はかつて成瀬巳喜男監督が田中絹代, 山田五十鈴, 高峰秀子, 杉村春子などを配して映画化したことでも有名です。どうしても見たくなりました。