漱石の思い出 夏目鏡子 文藝春秋 2005年4月





 つい手にとって読み始めました。何度目でしょう。いつの間にか引き込まれてしまいます。それだけ多くの魅力に富んだ作品といえるのではないでしょうか。
ここには明らかに市井人にして、鏡子の夫だった夏目金之助がいます。それ以外の人物は出てきません。
見合いの話から、その後の熊本、再び東京への引っ越し、さらには修善寺の大患を経て、臨終へといたります。わずか50年の生涯が妻の目から実にくっきりと描かれたといってもさしつかえないでしょう。
その根本にあるのは夫へのあたたかい愛情です。尊敬といっても差し支えありません。
そのことを声高に語るのではなく、実に平明にごく日常の表現で綴っています。だから読者の心をとらえて話さないのではないでしょうか。
神経が衰弱して頭の具合の悪い日の様子など、近くにいたものでなければ絶対に書けない描写です。周囲にいる者がどこかで、自分を陥れようと画策し、狙っているという妄想を抱き始めると、もう抑制がきかず、子供の頭でもなんでも叩き、さらには女中に悪態をつきます。
顔が上気して、赤くなってくると、もう危険信号です。そばに寄るのは努めて避けなければなりません。ひどいときは子供を親戚に避難させることまでしました。
それでいて調子のいい日などは、どんなに子供達が騒いで家の中を駆け回っていても、実にゆったりと読書などをしているのです。
カルタ取りをしてもほとんど子供達にとられ、馬鹿にされている漱石の表情が目に見えるようです。
お金のことにも無頓着で、岩波茂雄が書店をはじめてうまくいかなくなった時、大金3000円の株券をそのままぽんと貸そうとした話などは出色です。
ほとんどお金というものに執着がなく、欲しい本が手に入れば、あとはなにもいらず、それでいて財布に小遣いを入れておくと、弟子にみんな貸してしまったりもしました。
多くの人々に慕われる素地は彼の江戸っ子気質的なおおらかさにあったのかもしれません。
たくさんの人間が夏目家を訪れます。そのあたりの様子は『硝子戸の中』に詳しくかかれている通りです。
夏目漱石は神経と胃の病に苦しめられて一生を送ったといえるでしよう。最後には解剖の所見も載せられています。葬儀の様子なども詳しく書かれています。デスマスクをとった時の様子や、死の床の写真を撮影した時のエピソードなど、あげればきりがありません。ここには文豪の横顔など少しもなく、それが親近感を覚えさせる所以だと思います。
何度読んでも面白い。それがこの『漱石の思い出』なのです。鏡子夫人でなかったら、とても一緒には暮らせなかったでしょう。誠に厄介な夫であったということだけは、間違いがないのです。