非色 有吉佐和子 角川書店 2000年5月





 ふとしたきっかけで読み始めました。ある方の推薦してくださった本です。有吉佐和子といえば、ぼくが一番強い印象をもっているのは小説ではなく、彼女が中国旅行をした時のルポルタージュです。あまりにも興味深かったので、駅を乗り過ごしてしまった記憶があります。
行動する女性だというのが、その時の第一印象でした。もちろん、小説や芝居で有名な『華岡青洲の妻』という作品などにも感心しましたが、なんといっても4人組の活躍していた時代のルポは出色でした。
さて今回『非色』というこの小説を読み、彼女の関心が実に多岐にわたっていることに驚きました。
テーマは人種差別です。戦争中に黒人兵士と結婚し、その後ニューヨークに渡った日本人女性の軌跡を追ったストーリーです。ニグロと呼ばれる彼らが除隊後、どのような暮らしをしているのか、日本にいて子供を産んだ彼女には想像もできませんでした。
進駐軍兵士として在日していた時の勇姿を胸に焼き付けている彼女は、ハーレムの半地下に住む夫の姿に愕然とします。
夜勤の病院雑役夫としてわずかな給料を得る以外に、仕事はありませんでした。彼女は仕方なく、日本料理屋の仲居として働き始めます。それでも長女が誰からもいじわるをされないという環境が、心を開いていきます。
やがて次女、三女と産まれ、堕胎の手術が許されないアメリカの現実を知ります。同じ料理店で働く似たような境遇の女性、さらにプエルトリコ人と結婚した女性の3人が、泥沼のような現実の中でもがき苦しみます。
このあたりの描写は、息苦しく、黒人からさらに差別されるプエルトリコ人と結婚してしまった女性の苦悩がこれでもかというように描写されるのです。彼女は美貌の持ち主でありながら、たまたま知らずに結婚してしまったため、ハーレムよりもさらに悪い狭い環境の中で、一族の人たちのためにひたすら働き続けるという宿命を背負ってしまいます。
日本にいる親や兄弟にはすばらしい境遇を誇り、そのために数百ドルをかけて自分を飾った写真を送ったりもしていました。全てが虚飾だったのです。
やがて妊娠し最後は自殺をします。
主人公はその後、国連に勤める日本人女性の家に家政婦として住み込みます。まったく働こうともしない夫の弟までが闖入し、寝るところもなくなりつつありました。長男を妊娠したこともその背景にあります。
黒人はなぜ働こうとしないのか。能力が本当に低いのだろうか。その彼らが軽蔑するプエルトリコ人の生態などが、次々と描写されていきます。
救いは最後に主人公の女性が、自分はもう日本人ではない。ニグロなんだとアイデンティティを表白するところです。みんなでエンパイアステートビルにのぼってこの街を見下ろそうじゃないかと心に決めるのです。
逞しく育った長女を国を背負って立つ気概のある優秀なアフリカ人と結婚させたい、アメリカの黒人ではダメだと考えたり、心はさまざまに揺れ動きます。
差別の根源は何かということは大変難しい問題です。ぼく自身、かつて南部の都市、アトランタへ行ったことがあります。キング牧師の記念館にも寄りました。黒人街も歩きました。彼らの家は白人の家とは全く違うものでした。キング牧師の生家も同様です。
「私には夢がある」と語った牧師の演説は今、現実のものになったのでしょうか。
またニューヨーク郊外の白人しか住まない街を訪ねたこともあります。そこでは高校の生徒全てが白人でした。黒人が引っ越してくると、表面上はなにもないようでいて、すぐに周囲の人達は越してしまうそうです。
差別を声高に語るのではなく、深く密かに潜行している様子も見て取れました。黒人の大統領が誕生し、アメリカも大きな変貌を遂げつつあります。以前なら考えられなかったことです。
しかし人間の心の内部の問題がそれほど簡単に変化するとは、とても思えません。長い時間がかかります。
日本にも同じような問題はあります。姜尚中の『在日』という本は衝撃的です。人間の業といってしまえば、それまでのことかもしれません。ミュージカル「ミスサイゴン」のテーマも戦争で現地の女性との間に産まれた子供の話です。
長く終わりのない相対主義の結論はどこにあるのでしょうか。難しい内容の小説でした。