赤目四十八瀧心中未遂 車谷長吉 文藝春秋 2000年1月





 今から10年ほど前に直木賞をとった作品です。かつて彼の小説『塩壷の匙』を読みました。それ以来です。なぜこの本を手にとったのかといえば、それは全くの偶然からです。
ある新聞の投書欄に著者の回答が載っていました。それがあまりにも一般的な常識とは隔たりのあるものだったので、俄然興味を引き起こし、三冊まとめて読んでみたというわけです。
近年の『忌中』という作品集とあわせて読んだ印象としては、やはりここに取り上げた『赤目…』が群を抜いて面白かったです。かつて読んだ『塩壷…』の時にはあまり感じなかった不思議なカタルシスを感じました。
ほぼ私小説と捉えていいのではないかと思います。学校では絶対にとりあげないタイプのものですが、横溢した真実が光り輝いています。
舞台は尼ヶ崎の奥まったアパートです。彼の仕事は来る日も来る日も焼鳥屋で使うモツ肉の串刺しという単調な作業でした。隣室には入れ墨の彫り師が住み、さらにその愛人、やくざが出入りします。
そのような日常の中でも、人は生きるために蠢き続けます。その様子がこれでもかこれでもかと執拗に描かれるのです。
やがて彫り師の愛人、アヤちゃんが主人公の部屋を突如訪れるところから、一気に話は展開していきます。
兄の借金のかわりに福岡へ売られていくという彼女にせがまれて、主人公は最後に赤目四十八瀧へ赴きます。
死ぬ覚悟でした。
流転の果てに辿り着いた終局が、これだったのかと男は自分に納得させます。しかし愛人アヤちゃんは、あんたはこんなとこで死んではあかん、わたしは九州へ行くと彼に告げるのです。でも一緒にここまでついてきてくれてほんとにうれしかったと。
この間の描写は見事という他はありません。近年の他の作家には全くみられないものです。
あんたは立派な大学を出てなぜこんな場所にまで落ちぶれてきたのか、と焼鳥屋のセイ子姉さんも繰り返し彼に呟きました。彼女の人生も取り返しのつかない、陰惨なものです。
このあたりの風景は、ゴーリキーの『どん底』を彷彿とさせます。
新藤凉子の詩『ひかりの薔薇』が実にいい効果をあげています。著者は修行僧のような人だなというのが今の感想です。『月山』を書いた森敦や中上健次をも連想しました。
しかし彼らとも明らかに違います。
一回性の人生を生きる哀しいまでの人間の叫びを強く感じました。