荒野へ ジョン・クラカワー 集英社 2007年3月





 この本はひょんなことから勧められて、読むことになりました。最初は妙な若者がいたんだなあと、半ばあきれて読み始めましたが、次第に引き込まれていきました。
映画化もされているので、見た人がいるかもしれません。ヒッチハイクで単身アラスカまで入り、その後マッキンレー山の北の荒野に分け入っていったマッカンドレスという青年の軌跡を追った本です。
彼はその4ヶ月後遺体で発見されました。あらゆる食料をその場で手に入れ、生き抜こうとした若者の心に何があったのでしょうか。
大変礼儀正しい優秀な青年であったようです。アメリカではたくさんの人たちが似たような行動を起こしているという話もあります。しかしここまで禁欲的な態度をとってモラルに厳格に生きていこうとした若者は少ないのではないでしょうか。
このドキュメンタリーにはたくさんの関係者が登場します。なかにはふとしたことで彼と知り合い、お互いに心の交流を覚え、数ヶ月も一緒に暮らした老人までいます。
ふっと彼が消えてしまったことで、その後に訪れた孤独の重みが以前よりもまして、つらいものになったと独白しています。
親とどのように関わり、その後大学に入学するにあたってどのような葛藤があったのかということも、ここには実に赤裸々に描かれています。ブルーカラー出身だった父親は、なんとかして息子をよりよい生活に導こうとします。
しかし子供は思ったように行動しません。
旅立ちというのはいかに気分がいいものかと彼は何度も書いています。世界がいきなり可能性でいっぱいになるのです。それまでしていたアルバイトを即日その場でやめて、アラスカまで出かけます。
トルストイの小説を好んで読み、禁欲的な暮らしを標榜していた彼は、獲物をとらえ、それが殺す直前まで生きていたという事実にもおののきを隠しません。
マッカンドレスが荒野に入っていったのは、自然や世界についてじっくり考えるためであり、魂の内部への探検でもあったのでしょう。
しかし彼の日記に記されていることは、周辺の風景の記述だけでした。最後は川を渡れば助かったと言われていますが、その橋がどこにあるのかということを知るための地図さえも、彼は投げ捨て持ってはいなかったのです。
無謀といえば、それまでのことでしょう。1992年9月に見つかった無名の若者の死は、センセーショナルに取り上げられました。しかしその後、彼のたどった思考の軌跡をじっくりと追い求めたという意味で、この本は不思議な魅力に彩られています。
彼は世捨て人ではなかったと誰もが証言しています。厭世的な陰鬱さとは縁がなく、仕事はいつもきちんとし、言葉遣いもていねいだったと人は言います。
真実はどこにあるのでしょう。それを考えることが、これからの作業であるかもしれません。