秘花 瀬戸内寂聴 新潮社 2007年5月





 筆者が4年の歳月をかけて、書き上げたという小説を久しぶりに読みました。世阿弥が佐渡に流されてからの生活が主題です。
世阿弥については『華の碑文』という杉本苑子さんの作品がかなり以前に出ています。あの小説を読んだ時は男色という、この時代の風習に驚いたものです。
もちろん、相手は三代将軍義満です。申楽役者は所詮河原者にちがいありません。その彼がどんなことをして這い上がっていけばよかったのでしょうか。その方法はいくつもありませんでした。
『秘花』にもそのことは色濃く描かれています。父観阿弥のせつないまでの野望を、息子がその美貌で果たしたのです。
しかし時分の花はやがてその美しさを失います。それとと同時に彼の息子たちの世代に悲劇が続いていくのです。
嫡子に恵まれなかった世阿弥は弟の子を養子にもらいますが、その後続けて男子を二人出生するという、大きな転回点を迎えます。実子元雅率いる観世座と養子元重率いる新観世座の対立もそこには含まれます。
そのあたりから、親と子の相克も表面化していくわけです。やがて義満が死に、その後にあらわれた将軍義持に嫌われ、佐渡への遠島が決まります。
この小説の醍醐味は、全く資料がなかったという佐渡以後にあるのではないでしょうか。全て筆者の想像力の産物です。
島を抜けない限り、たいていのことは許されていたという当時の暮らしから、いくつもの想像がなされています。長男の死、さらに次男の出家などを横目に見つつ、彼の想念はさらに研ぎ澄まされていきます。
佐渡で身のまわりの世話をしたという女性を作り上げ、彼女にさまざまなことを語らせています。これも構成の妙かもしれません。
全体にちらばる古典の言葉が、なににもまして美しいです。
現代の言葉は、古語に太刀打ちできません。それくらいに簡潔で見事です。
義満との出会いは山崎正和の戯曲『世阿弥』にも描かれていますが、彼の愛妾だった椿を、そのまま世阿弥に譲ってしまうというあたりは、権力者の奢りを強く感じさせます。
しかしその女性を終生大切にした、世阿弥にも、哀しみは強く宿っています。
佐渡での彼が、幸せだったのかどうか、それは今となってはもうわかりません。しかし幸いであって欲しかったという筆者の祈りだけは強く感じられました。