演出家の仕事 栗山民也 岩波書店 2007年11月





 演出という仕事くらい魅力的なものはありません。何もない舞台に自分のイメージ一つから全てを作り出していくのです。
空白にこそ、面白さの全てがあると彼はいいます。まさにその通りでしょう。人間の営為の全てが、舞台に集約されるのです。成功も失敗も、全てが演出家の責任になるというわけです。それだけに責任は重大です。しかしだからこそやりがいのある仕事でもあります。
この国には演劇人を育てる国立の養成システムはありません。ヨーロッパの多くの国には当たり前のようにある機関も、日本にはないのです。そこで著者は、自分が渡辺浩子さんの後をうけて、新国立劇場の演劇部門芸術監督に就任した時から、そうした施設をつくるために奔走しました。
現在、わずかの費用ですが、そこでの養成も進んでいるようです。ただし、演出という分野についてはまだまだです。彼の場合、木村光一について、一から勉強したそうです。とにかく方法論が確立していないため、どのように演出をしたらいいのかというのは、人によって全く自由なのです。
ロシアのスタニスラフスキーが作り出した演出方法は多くの新劇人にとってバイブルのようなものでしたが、今ではそれをそのまま応用しようとする俳優は少ないのです。
つねに新しい演出法を求めて、意志ある人々は切磋琢磨しているのが現状ではないでしょうか。
彼は鈴木忠志の方法などに惹かれ、その後何人もの演出家に接していきます。
さらに外国で多数の芝居を見、そのうちのいくつかを新国立劇場に招聘もしています。アウシュヴィッツの収容所での話や、パリの市街地で見た太陽劇団の話などには興味をひかれました。
全編を通じて、井上ひさしの芝居との出会いについて書かれた部分が一番面白かったです。
作者がどのように劇中の人物を生き生きとしたものにするのかという現場を見ながら、さらにそれを稽古で実際のものにしていく過程は、なによりも面白いものです。
ぼく自身、栗山さんの演出現場を何回か拝見しています。我慢強い、それでいてポイントをついた指摘を受けて、役者達がみごとに演技する場面は見応えのあるものでした。
演出は最終的には役者本人が持っている本来の力を出すための助力をするものだと思います。
巻末にあるチェーホフを題材にして井上ひさしの芝居を作っていくまでの日記も大変に実感あふれるものでした。