先生とわたし 四方田犬彦 新潮社 2007年6月





 最近読んだ著者の本が面白かったので、続けて同氏のものを探しました。すると彼が東大で学んだ時のことを実に詳細に書いた本に出会ったのです。これがまた大変に興味深い内容のもので、ついつり込まれて読みふけってしまいました。
主題は駒場で出会った由良君美教授との実に濃密な師弟の関係を綴ったものです。きみよしと読むこの名前は新井白石の幼名だそうです。学者の息子として生まれた由良教授は慶応で西脇順三郎に教えを受け、その後同大学で教鞭をとり、さらに東大に招聘されます。
しかしこの人事は本郷だったら絶対にあり得ないという環境の中での話でした。友人、高橋康也の奔走で実現したのです。それだけまだ駒場には、自由な雰囲気が残っていたということでしょう。しかし閉鎖的な大学の中で、外様教授である彼がどれほど苦労を味わう羽目になったのかというあたりから、著者は説いていきます。
はじめての講義を聴いた時から、四方田はこの先生の先鋭的な研究方法とペダンチックな容姿に魅せられます。そのまま彼の研究室に残り、宗教学から比較文学、さらには映像論といった当時、まだどこにもなかった分野に分け入っていくのです。
大学院を出る頃、江藤淳に誘われて、彼の研究室の副手にならないかと請われた四方田は、自分の研究の方法とは違うということで、これを断りました。
そのことを由良教授に伝えると、実に嬉しそうな表情をしたという内情まで、書き込んでいます。由良教授と江藤淳とは犬猿の仲であったということを、その時著者は迂闊にも知らなかったのです。
猜疑心と嫉妬心が、これほど陰湿に描かれた本も珍しいかもしれません。学者の狭い世界の中で、同じ慶応出身でありながら、かたや東大、かたや東工大にいるというそれぞれの立場を超えた、学問の方法論の差というものもあったのでしょう。
新しい理論や意匠をこれでもかとめまぐるしく著者の前に開陳してみせる教授の姿には、ただ頭が下がるのみであったと彼は書いています。
しかしそれが次第に変化してきたのは、四方田が韓国の大学へ出たあたりからでしょうか。
後に自分がいつの間にか先生に嫉妬される対象になりつつあったということを、詳しく書き込んでいます。いつも教員は後から新進の研究者達に追いかけられる宿命を背負っています。
普通ならそれを鷹揚にはねのけながら進んで生きていくのでしょうが、由良にはそれができませんでした。
次々と自分の弟子達に造反されます。なかでも高山宏との決別は決定的なものでした。そのたびに彼の酒量は増えていきます。
時にはパーティでとんでもない失態をみせるという場面もありました。四方田も先生に連れられ、明け方まで家に帰してもらえないという場面を描いています。さらには殴られるという事件まで起きてしまいます。
寂しかったといえば、それまでですが、学生時代にみせた毅然とした教授の姿はもうそこにはありませんでした。
人はどうして教師となるのかというのは面白いテーマです。彼自身、現在明治学院大で教鞭をとりながら、たくさんの間違いを犯してきたと正直に告白しています。
その立場にたって、由良教授のことを思う時、いろいろな悔恨が彼の胸中を襲うのです。先生は61才で亡くなります。葬儀もせず、どこに埋葬されたのかもわからないまま、数年が過ぎ、やっとみつけた墓に酒をたむけて、四方田の墓参は終わります。
これは先生との関係の中で、自分の青春時代をそのまま活写した本です。大学でいかに新しい学問領域に触れ、その結果自分が何を考え、何を研究しようとしたのかということを明確に書いています。当時の思想状況を示した出版社や作家、思想家の名前が夥しく出てきます。懐かしい思いでいっぱいでした。
これを書いたことで、著者は先生への心からの弔辞としたかったのかもしれません。それくらい深い愛情に満ちた本です。何度もつらい目にあわされながら、それでも感謝の気持ちを忘れないというところに、この人の温かさが滲んでいます。
気がつくと、今も由良教授に教わった方法論を学生に話していると述懐しています。教師と弟子との関係が、これほどに描かれた本も珍しいのではないでしょうか。知的エリート達の内情暴露本といってしまうのは、あまりにも可愛そうです。
友人達の中には、あまりにも思いこみや誤記が多いと指摘する向きもあるそうです。しかしそうしたことを差し引いても、やはり面白い本です。
かつて慶応の池田弥三郎が彼の先生にあたる釈超空こと、折口信夫を描いた『まれびとの座 折口信夫と私』にも似たような印象を持ちました。あわせての読書を勧めます。
嫉妬心と猜疑心、そして愛情に満ちた不思議な本です。