学生と読む「三四郎』 石原千秋 新潮社 2006年3月





 タイトルにつられ、つい手に取ってみました。成城大学で国文学演習をしていた時の記録です。近頃の学生気質というものを実に的確に捉えていると感心しました。
また大学内で2番目に厳しいという授業の内容にも興味を持つことができました。
一言でいえば、テキストをとことん読み込むという手法で、高校までに培ってきた主人公の心情を中心とした文学解釈とは全く違う方法で小説を読み解こうというものです。
なかにいくつもの論文が掲げてあり、学生達がどのようにして、1年間の講義で成長していったかが手にとるようにわかります。
教務部長という激務の中で、これだけの授業をするのは並々のことではないと思いました。
本を読みながら、大学という実に不思議な空間で我が儘を目一杯言い続ける教員の多いことにも唖然としました。
朝は授業をしたくないなどというのは序の口で、成績を変更すると以前学生と約束したから、突然変えたいと言ってくる人や、他大学に講師として出かけるのを口実に、決められた日の講義をしないなど、いくらでも笑える話が載っています。
どこの組織も3割、有能な人間がいれば、なんとかなるとはいうものの、大学の置かれている現状はなんとも寂しいものがあります。それでも成城大学はこじんまりとした人数で仲良くやっているんだなというのが、正直な感想です。
彼はこの大学が本当に好きだったのでしょう。そのことが随所に気分として感じられます。桜の季節には家族で花見をしたなどというエピソードもほほえましいものです。
さて学生達は千差万別です。全く文章の書けない生徒に向かって、原稿用紙の使い方から指導しなければなりません。授業中の携帯、トイレ、全てにわたって厳しい指導をします。
約束を守れない生徒は、二度と授業に出ることが許されません。それでも鍛えてほしいという若者達の熱気に支えられて、彼は講義をし続けます。なかには才能の豊かな学生もおり、変につぶしてしまわないよう、アドバイスにも神経を使います。
その結果として、評価点も公表し、いくつかの論文を中に掲げてあるのです。論文では美禰子と三四郎の関係だけではなく、野々宮、広田先生などとの関係も明白にされます。
また筆者は夏休み前に都内の書店を実地に歩き回ることを奨励します。大型書店のレベルがどの程度のものなのかということを判別しようという試みです。ある学生は具体的に本の名前をあげて、それがどこにあるのかをどの程度答えられるのかなどということまで、調べあげました。このようにして、学生達は本を読むということの意義づけをしていきます。
その結果として、自分の読んだ本と、まだ読んでいない多くの本の存在を知るのです。
数年前、彼はついに成城大学を去りました。その時最後に門衛の人が長い間おつかれさまでしたと挨拶をしてくれたことが大変嬉しかったと書きとどめています。
そういうあたたかい大学として、彼が成城を愛したということが、もしかしたらこの本の最大のテーマなのかもしれません。
昨今の大学生達の横顔を目の当たりにしたというのが、今の偽らざる心境です。