八日目の蝉 角田光代 中央公論新社 2007年9月





不思議な読後感のある本です。これは女の人でなければ絶対に書けない小説だろうと思います。それくらい女性の皮膚感覚に満ちた作品です。全体にぬめるような触感があります。
不倫相手の男の子供を生後数ヶ月で連れ去ってしまった女が主人公です。かつてその男の子供を身ごもったことがあり、堕胎までしています。自分が産んだかも知れない子供をちょっと妻が出ているすきに抱かせてもらおうと思っただけなのです。しかしその目を見た瞬間、女は自分の子供につけるはずだった名前で赤ん坊を呼んでしまいます。
それからは逃亡の図式が繰り広げられます。いろいろな場所で働きながら、ついには新興宗教とも相互扶助組織ともとれる女だけの共同体で生活をします。この空間はかつてのオウム真理教にあったサティアンや、ヤマギシズムをすぐに連想させます。
そこではみながホーリーネームを持ち、彼女は父親の死亡保険金数千万円を全て献金までしてしまいます。男を寄せ付けない不思議な場所で娘は組織以外の他者を見ることもなく、海も山も自然も見ずに暮らします。
さらにそこを逃れ、組織内にいた女性の母親を頼り、小豆島へ渡るのです。やがてそうした生活にも破綻がきます。なんの気なしにとられた祭りの写真がきっかけで、とうとう警察に捕まってしまいます。
後半はその娘が成人し、大学生になって周囲との関係に悩み続けるところから始まります。彼女は自分の出生から両親の苦悩、友人との関係などで、なぜこれほどに苦しまなければならないのか、とうめき続けます。両親は子供を連れてあちこち転々とし、それでも心の平安を得ることができません。なぜ自分たちの子供がこんな目にあわなければならなかったのか。
世間の好奇の目がおさまることはありませんでした。夫婦の関係も通常のものにはなりません。家族とはなにかというテーマが、ここには大きくのしかかってきます。
親子、あるいは夫婦は愛情でつながるというものの、愛情にも絶え間ない訓練や想像力が必要なのです。それができない二人は、互いの不倫も許せず、ただ疲れ果てていくだけです。
誘拐され、その後成人した女性は、かつて自分をさらった女と同じように妻子のある男性と関係をもち、妊娠をします。そのことを両親に告げた時、彼らは凍りついてしまいます。どこまで私たちを不幸にすれば気が済むのかと…。
その後、彼女はかつてエンジェルホームと呼ばれた不思議な空間にいた女性と思い出のつまった小豆島へ向かいます。そこが彼女にとっては一番懐かしい自然な場所だったのです。
小説家はここで島へ向かうフェリーの船着き場に、かつての犯人である女を配置します。彼女もいつか小豆島へ行きたかったのです。お腹の大きな女性とその姉らしい女の二人連れを見ながら、海の潮の香を嗅ぐのです。
ここには犯人と、その被害者だった人間との魂の交感があるのかもしれません。もっともにくい女が、最も親しい人間でありえたかも知れないという構図です。犯人と被害者は想像以上に近いところにいます。
この小説を読みながら、人のつながりとはなにかということも考えました。その真実はどこにあるのでしょうか。
しかし全編を通じて感じたのは、産むという肉体的な力を持つ女性の本性でした。その強さと深さをしみじみと味わいました。これはどれほどの想像力を働かせても、男には書けません。それくらい性の深部に根ざした内容であると思います。産むということのできる性だけが持つ神秘性を感じました。そこがまたひとつの救済につながるのかもしれません。あるいは永遠の関係性にもなりうるのでしょうか。
この本はちょっとしたきっかけから読み始めることとなりました。保護者の方に推薦していただき、本まで貸していただいたのです。
一つの作品を通じて、新しいご縁ができたと思います。嬉しい気持ちでいっぱいです。この場を借りて心からお礼を申し上げます。