明暗 夏目漱石 筑摩書房 2000年3月





 漱石最晩年の作品です。といっても50歳を目前にした時の小説です。未完のまま終わってしまったのが、いかにも残念です。
ストーリーはどうということもありません。夫婦のどこかぎくしゃくとした関係がそれぞれの登場人物の心理描写によって描かれます。これだけ1人1人の心の内側にじっとカメラを据え付けて、書き込んだ小説も珍しいのではないでしょうか。
主人公の津田だけでなく、その妻のお延、さらには津田の妹、お秀、津田の会社の上司の妻、吉川夫人、さらには彼の後をつきまとう旧友、小林、かつての恋人、清子など、登場人物に暇はありません。
当然のことながらそれぞれが自分の論理で生きています。津田の傲慢さをなじり、金をせびりとろうとする旧友、小林にもそれなりの論理はあります。さらに自分の体面をまもりたがる妻のお延も義妹のお秀にも、それぞれ、人間ならば誰もが持っているエゴイズムの一面が仄見えます。
最後の場面ではかつて清子を津田に紹介した吉川夫人が現れ、清子が流産し湯治していることを話します。
津田はお延の機嫌をとりながら、彼女を説得し、自分の痔の手術の病後の養生と称して、結局一人で温泉へ行き、その宿で清子と再会するのです。
このあたりで津田が示す妻との駆け引きも、たしかにこういうことはよくあると感じさせる内容になっています。漱石はよくここまで人間の心理に食いつき続けたものだと感心させられます。
偶然、旅館の廊下でばったりと出会うシーンから、翌日、彼女の部屋を訪れるところまで、息つく間もありません。しかも部屋で応対する清子の泰然とした様子が、時間の持つ不思議さを表現しています。
毎月の入費がかかることを知りながら、親戚に頼り、妻の手前、体面を保とうとする津田の一面と、それをどこまで理解しているのかわからないまま、やはり夫を前面に出そうとする妻の表情にも注意したいところです。
ここに登場する人物は、それぞれが自分の形というものにこだわり、そのあげくどうにもならない人生をひきずって生きていくのです。
則天去私という言葉はこの小説を書いている最中、よく漱石が引き合いに出したと言われています。
しかし己を去るということができなかったからこそ、生まれた小説がこの明暗なのではないでしょうか。
どこにでもあるささいな出来事を、よくこれだけ人間の心理の裏側に入って、それぞれの立場から描き分けたと思います。不思議な読後感の小説です。何度目の読了か覚えていませんが、毎回新しい発見があります。
この後、水村美苗さんの書いた『続 明暗』を続けて読んでみようと思います。彼の文体をそのまま模倣して描いたという小説です。あまり期待せず、さりとていくらかの期待もこめて…。