行人 夏目漱石 岩波書店 2005年5月





 久しぶりに行人を読み返しました。秋から授業でこころをやる予定ですので、後期3部作と言われる行人をもう一度読み直しておこうと考えたからです。
最初に読んだのは多分学生の頃だったと思います。その時の印象は一郎の病的までの思考回路でした。弟と自分の妻との関係を疑ってみたり、さらには、人生は生きる価値が真にあるのかといったテーマばかりが目についたのです。
事実、知識人の苦悩を突き詰めていけば、自殺するか、宗教に入るか、狂うかという3つに絞られていくのかもしれません。
それがでは行人のテーマなのかと訊かれると、さてそれだけの作品なのだろうかという疑問も同時にわいてきます。
ストーリーはほとんどないのかもしれません。ここには男性の側からみた女性観だけが描かれていて、その反対はないのです。
三四郎に出てきた美禰子のような不思議な微笑をたたえた女として、一郎の妻が描かれます。しかし彼女の独白があるかといえば、それはありません。
同じようにこころの主人公である先生の妻も、自分の立場を強く主張する場面はないのです。漱石が女性というものをどのように見ていたのかという意味で、ほぼ続けて執筆されたこの2作は面白いものです。
単純に一郎の神経だけに着目するのではなく、むしろ彼の周囲に点在する人間の内奥をみていった方が興味深いのかもしれません。
ここには一郎が一番幸せだとするお貞という女中の話も出てきます。最も欲が少なく、善良な人間である彼女が、結局は最高度の幸せを得たというのです。
結婚した女はその瞬間から、夫のために邪になり、自分も結婚したことで、妻を悪くしてしまったという一郎の独白などは、なかなか味わいのあるものです。
幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求できるものではないとも書いています。
ほとんどストーリーがあるようなないような心境小説のなかで、漱石が何を一番訴えたかったのでしょうか。
今年の秋は漱石展も予定されています。彼の視点を自分の中に手に入れることができたらという大それた希望も、密かに持っています。
現在こころをまた読み直していますが、今年は随分漱石の小説を再読しました。どれも心はずむ作品ばかりです。
司馬遼太郎は年をとると漱石が読みたくてたまらなくなると述懐していましたが、その気持ちがとてもよくわかります。懐かしさを秘めた不思議な文学だと最近ますます思うようになりました。