故なくかなし 辻井喬 新潮社 1996年12月





辻井喬は詩人です。この本を読んでいると、しみじみそう思います。言葉を紡ぎ出すことに対して、実に厳格なまでの凛とした態度を持っています。
18の短編が並べられています。そのどれもが有名な俳句の言葉に喚起されたイメージから成り立っているのです。いわば、一瞬の夢の中に浮かび上がった表現を、静かに網で掬い取りながら集めたという印象を持ちました。
どれもが淡い人間の営為を描いています。そこには愛憎もあり、破局もあります。しかしどれもが運命という言葉に導かれているのではないかと感じられ、人の世のはかなさを思い知らされるのです。

ある時は梅幽かなる日和かな 高浜虚子
雪はげし抱かれて息のつまりしごと 橋本多佳子
逃げ水や人を恃みて旅つづく 角川源義
浅雲の故なくかなし百日紅 水原秋桜子

このように各短編の冒頭には一つの句が示されています。筆者の想像力はたった17文字の世界の中をぐるぐると駆け巡るのです。そこから浮かび上がった言葉だけを紡ぎ出したのがこの本なのです。
一つの話があまりにも短いために、一種のエスキースのようにもなっています。
男女の邂逅と別れ、離婚、死別、親子の複雑な縁にいたるまで、ここにはあります。どれも人生のほんの一瞬を風のように切り取った淡い物語です。小説とは本来このようなものなのかもしれません。