僕が落語を変える 柳家花緑 小林照幸 新潮社 2001年11月





 祖父柳家小さんを祖父に持ち、師匠と呼んだ花緑の生い立ちから現在までを書き込んだノンフィクションです。人間国宝にまでのぼりつめた先代の小さんは、その存在が大きすぎ、花緑にはいつも羨望の対象でもありました。落語家一門の家に生まれた彼は当然のように、現在の道へ入ってしまいます。中学卒業と同時でした。
仲間内からはやっかみ以上のものがあびせかけられる中で、彼は黙々と稽古に励みます。しかし元々落語は大人の芸です。年をとらなければわからないことばかり。器用貧乏に噺をしても、ただ笑いが素通りしていくだけでした。
花禄は焦ります。ジャズダンス、ピアノその他、舞台に立つこともありました。そうして何年かが過ぎた頃、突然23歳での真打昇進が決まったのです。戦後最短での昇進でした。彼の兄弟子にあたる小三治でも、20歳で小さんに入門し、真打になったのは30歳の時だったのです。
先輩達を何人も飛び越しての昇進にはやはり嫉妬が渦巻きました。いずれ祖父の大名跡をつぐのは、彼だという噂があっという間に広がるにつれ、マスコミも黙ってはいません。
ここから花禄の苦しみが始まったのです。それでなくても古いタテ型社会が厳然として存在する噺家の世界で、自分がどう立ち回ったらいいのか、全くわからなくなってしまいました。
それだけ名跡をつぐということは、大仕事なのです。門外漢にはなかなか理解できないことの一つかもしれません。襲名披露には1000万単位の莫大な費用がかかります。それも祖父が全て出してくれました。
しかしその柳家小さんも2002年、とうとう鬼籍に入ってしまいました。小さんのあとを継いだのは結局彼ではなく、長男にあたる三語楼でした。彼が6代目になったのです。小三治に白羽の矢がたったそうですが、彼は強く固辞したそうです。
そのあたりのことはこの本には出てきません。また続編を待ちたいところです。
著書の中には、自殺した桂三木助の話も出てきます。父親の名跡をついだあと、苦しみぬいた彼は、とうとう自宅で自死してしまいました。この時の様子も実に生々しく語られています。
立川談志は小さんの一番弟子でもあります。しかし一門を飛び出てしまいました。といって花禄に冷たい訳でもなく、大変可愛がってくれるといいます。談志の師匠小さんに対する尊敬心、落語に対する熱情がひしひしと伝わってきます。
どの世界でも一流になることは至難だと痛感しました。これからの彼の精進を楽しみに見続けていきたいと思います。