福翁自伝 福沢諭吉 岩波書店 1983年11月





 久々にすごく面白かったです。へたな小説を読むくらいなら、こちらの方が数段愉快です。というか、こういうものを今読めるということは本当に幸せなことだと思います。
福沢諭吉といえば、紙幣になったり、慶応義塾の創始者としてのいかついイメージがあります。しかしこの本を読んでいると、本当に親しい友人のような気がしてくるから不思議です。それくらい自分というものをさらけ出し、恬淡としています。少しも恰好をつけようとする気配がありません。
そこがまた大変気持ちよいのです。
中津藩という小さな藩の、十三石二人扶持の家に生まれた彼は、本当にこの藩が嫌いだったようです。あれをしてはダメ、これをしてはダメという家風で、息苦しく逃亡することだけを考えていたのでしょう。
大阪の適塾に入り、緒方洪庵に認められ、蘭学を一心に学んだのも、とにかくこうした藩の古い体質から抜け出るためもあったことと思われます。やがて蘭学を学び、塾長となり、藩命で江戸にも出ていきます。
咸臨丸に乗ってはじめてアメリカへ渡った時の記述などは、何度読んでもおかしくてなりません。勝海舟とはあまり仲がよくなかったというのも面白い話です。
アメリカでの様子は、譬えは悪いですが、未開人がはじめてエレベーターや電車を見た時の驚きに似ています。しかし彼は書物で新しい技術というものに触れていました。だから工場を見ても面白くないのです。それよりもどのようにして、議会や選挙というものが成立するのかということに関心を持ちます。
徹底したリアリストである福沢の目にはアメリカの民主主義がなぜ成立しているのかという構造の方に興味があったのです。その後、ヨーロッパを回り、さらにアメリカにも再び行きます。
横浜にはたくさんの商館が並んでいましたが、みな英語ばかりです。ここで彼はオランダ語を捨て、一気に英語の勉強へと走ります。このあたりの身の軽さこそが彼の真骨頂かもしれません。
だれも教えてくれる人はいないのです。全て独学でした。学び始めてみると、オランダ語の文法が驚くほど似ています。問題は発音で、これは少しでも話せる人がいれば、訪ねていったといいます。
そのうちに大政奉還、さらには攘夷へと国が一気に動きだし、彼は暗殺を怖れて夜は一歩も外出しません。
酒が大好きで、これには目がありませんでした。後には煙草も吸いはじめ、このあたりの記述は実に愉快です。酒のためにはいろんな画策もしますが、根本的に人を騙すとか、金を無心するとかいうことはありません。
慶応義塾を三田に移転させる時も、全て自分の金でまかなったというのが彼の自負でもあります。潰れるのならそれでいいという覚悟で始めた学校でした。かなり手荒い生徒も入ってきたようですが、落書き厳禁などいう具体的な規則をつくって、教育をしていきます。
後には新聞社も始めました。
とにかくいろいろなことがたくさん書かれていて、生きた明治の横顔を知るには格好の材料と言えるでしょう。こういう本を持てたということは本当に幸せなことです。とにかく面白いです。
事実だけを冷静に見ようとする彼の視点は、今日、ますます必要とされているのではないでしょうか。リアリズムの極限と言えるかもしれません。
本当に楽しく、最後には考えさせられる著作です。話した通りを談話形式で書き取ったものだけに、そこに福沢が生きているような錯覚にとらわれます。一読を勧めます。