新聞記者司馬遼太郎 産経新聞社編 産経新聞社 2000年2月





 司馬遼太郎がかつて新聞記者だったということは、誰でも知っています。しかしその彼がどんな経緯で記者になり、どのような記事を書いていたのかということはあまり知られていません。
この本は彼が長い間していた仕事の内容を、元同僚に訊ねながら書き取った本です。
戦後すぐ、闇市を歩いていた時、電柱に貼られていた一枚のビラをたよりに記者になったという話は大変面白いものでした。今はない大阪の新世界新聞社です。その後京都の新日本新聞を経て、産経新聞社に入社しました。
最初こそ少し警察回りをしたものの、後はもっぱら大学と寺院回りの文化部中心の日々でした。
ほとんどこれといった記事もない日常でしたが、しかしこの間に作家司馬遼太郎の目が成長していったのです。
この時代のエピソードとしては、金閣寺が焼失するという大事件の背景に僧侶をめぐっての確執があるということを、つきとめたことです。昭和25年7月2日のことでした。
宗教担当の寺回りでなければとれない特ダネでした。
文化部記者福田定一はその後司馬遷にははるかに届かないというペンネームを使って小説を書き始めます。
それまでの雌伏の時代がいよいよ花開く時でした。昭和35年『梟の城』で直木賞受賞、その後産経新聞に『竜馬がゆく』を連載しました。
彼は産経新聞を愛するあまり、退社後も鹿内一族支配に対して批判を強めます。疎んじられるのを覚悟のことでした。
いつもジャーナリズムというものに対して関心を抱いていただけに、その後の台湾問題などについても、かなり早い時期から予見していたといわれています。
李登輝総統との会談など、いくつもの話題が掲載されています。最後に彼の書いたコラムも紹介されていて、作家の風貌が示されています。
やや、産経新聞礼賛の感は残りますが、司馬遼太郎の知らなかった側面を読むことができて、大変面白かったです。