オキナワをうたう 登川誠仁 新潮社 2002年7月





映画「ナビィの恋」で一躍その名を知られることとなった沖縄民謡の歌手。それがこの本の著者、登川誠仁です。
彼は沖縄の歌だけを歌い続け、今日まで来ました。ろくに学校にも行っていません。教室に入ることもほとんどなかったのです。廊下に立たされたり、先生が立つ教壇の平たい木の枠の中に寝かされたり、それはひどいものでした。
ちょっとした隙があれば、すぐに教室から抜け出してしまうような子供だったのです。
そんな彼にも怖いものはありました。それは母親とハブでした。家の中に何匹ものハブがいて、いつ噛まれても不思議はなかったといいます。あまりにひどい夜は、むしろ外で寝た方が安全だったとか。
やがて戦争。彼も母親と一緒に逃げ回り、あげくには米兵に捕らえられます。キャンプ生活の間、特攻隊が米軍めがけて飛び込む様子をじっと見続ける少年でもありました。
終戦を迎え、生きる力だけは不思議とある誠仁少年はキャンプの中で、雑用係としてみごとに復活します。
将校に気にいられ、コーラをケースごと外に出しては売りさばき、さらには材木、釘など、なんでも闇市で売ってしまうのです。
そんな風にして儲けた金で建てた家も、賭博で一文無しになってしまいます。
それでも不思議と歌と三線だけは手放しませんでした。それがやがて今日の唄者をつくりあげていくのです。旅回りの芝居の地唄から、さらには一本立ちして、民謡歌手になり、やがてレコードやCDを吹き込むことになります。
その間にも古い歌を発掘し、さらに自分で作曲も手がけました。満足に字も読めなかった彼は、辞書と格闘し、少しづつ文字を獲得していきます。
それもこれも歌をつくりたい一心からでした。酒をのめば何日でも飲み続け、ハワイへ呼ばれれば、1年も居続けてしまうといった破天荒な行動も、全て歌への情熱から出たものでした。
即興でうたうということに命をかけたのです。それでなければオキナワの心は伝わらないと信じていました。
工工四(くうくうしい)と呼ばれる三線の楽譜を使い、オキナワの歌を次から次へと採譜していったのです。
ウチナンチュの言葉がなければ、沖縄の歌はありません。しかしその言葉も時代の中で次第に衰退しつつあります。
歌を研究の対象としてではなく、かけがえのない命として生きてきた人の横顔が、この本には実にみごとに描かれています。
こんな人はもう出ないでしょう。時代がつくったと思わざるを得ません。牛しかおらんよと呟くナビィおばあの夫役を一度、見てみれば、彼の神髄に触れることができると思います。