風の良寛 中野孝次 集英社 2000年12月





 中野孝次の書くものには『清貧の思想』がつねについてまわります。この本もまさにその路線を継承しているといえるものです。彼は持つことが厭なのです。財産も地位も、できれば全てを捨てて無一物のまま死にたいといつも願っていました。
しかし今の世でそれをすることは事実上不可能に近いことでもあります。
そこに登場したのが良寛だったのです。
良寛の勁さは自分というものをごまかさずに、生き抜いたというその一点にあります。五合庵と呼ばれた彼の庵を訪ねた筆者は、とても自分にはこの暮らしはできないと認めざるを得ませんでした。それくらい厳しい越後、国上山での日常だったのです。板敷きに筵、せんべい布団、あるものはそれだけです。すり鉢で顔も洗いました。
乞食をして恵んでもらった米を食べ、なければ空腹のまま眠りました。死ぬまでこうした暮らしをし続けるというその中に、良寛の勁い意志を中野は見てとったのです。

埋み火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ

しかしそのような庵の暮らしにも春は訪れます。

すてはてて身はなきものとおもへども
雪のふる日はさぶくこそあれ
花のふる日はうかれこそすれ

西行の歌のこの生き方に良寛は文人としての自分の生き様を重ね合わせたのです。
晩年七十歳になっての貞心尼との交情には心ときめかせるものがあります。

あづさゆみ春になりなば草の庵をとく出で来ませあひたきものを

良寛は自分の心をそのまま歌うことができた人でした。彼は万葉集をことの他好んだそうです。越後の文人達は、良寛を陰に陽に支援しました。しかし彼は、ついに五合庵を出ようとはしなかったのです。
持たないことの勁さを最後まで願った中野孝次もつい二年ほど前、鬼籍に入りました。月日の流れのはやさをただ感じるだけです。しみじみとしたいい本です。良寛を通して、中野の信念を読み取ることができます。