科挙 宮崎市定 中央公論社 1963年5月





中国が1400年間にわたって行った官吏登用試験、それが科挙です。587年に始まり、清朝まで行われました。
この本を読むのは2度目です。随分前に読みました。つい最近の版で61版とあります。実に長い間、読まれ続けた名著と言えるでしょう。
中国という国は何をするにしても途方もないことをやってのけます。2万人を収容できるような試験場を作ってしまうというのも実に驚くべき話です。
試験場といってもただ机を並べるわけではありません。まさにハーモニカのような長屋をずらりと建て、その周囲を高い塀で囲むのです。一度門をくぐったら、試験が終わるまで出ることは許されません。3日間で一つの試験が終わり、それが3回も4回も繰り返されるのです。
答案は誰のものかわからないように、番号と名前の欄を覆われ、さらに全ての内容を赤で別に書き取られます。それをもう一度間違いがないかどうか黄色でチェックしてから、採点官に手渡されるのです。
そのために1500人以上の書記を必要としました。検査官は試験の合否を全て決定するまで、その高い塀の外へ出ることは許されません。時に数ヶ月を要する日々だったのです。
当然、試験中に亡くなる人もでてきます。なんといっても年齢制限はないのですから。そういう時は、藁で包んで、塀の外へ投げたと言われています。
これだけでも気が遠くなりますが、入り口でカンニング用の豆本を見つけたりしたら、かなりの収入になるため、門番も必死でした。
受験者は長屋の中で試験を書きながら、食事をとり眠り、そしてまた答案に向かうのです。郷試、会試、殿試と試験は次々と続いていきます。その間に悪いことをしてきた人は不思議な夢を見たり、うなされたりしたそうです。
科挙とは四書五経45万字を暗記するという、ある意味、壮大でよく考えれば少しばかげた試験でもありました。しかしこれに合格しなければ、官僚にはなれないのです。中国では出世するための最短距離でした。そのために財産のある親たちは子供が幼い頃から、家庭教師をつけたりして教育に情熱を燃やしたのです。
その年、一番で殿試に合格した人を状元と呼び、最高の栄誉を手にすることができました。しかしそのためにどれほどのエネルギーを使ったことでしょう。ある時には試験官への賄賂も行われました。また決まった表現を使うことで、自分の答案を他人のものと区別させる手段などもとられました。
ありとあらゆる方法を使わなければ、数千人に一人という合格者にはなれなかったのです。
試験地獄と呼ばれるものの中で、これほどのものは古今東西ないといっていいのではないでしょうか。
読んでいる間中、ため息がとどまることはありませんでした。久しぶりに再読して、中国という国の不思議さにあらためて触れた気がしています。