人生しょせん運不運 古山高麗雄 草思社 2004年4月





 3年前、亡くなった著者が生前最後まで書いていたのがこのエッセイです。タイトルから見てわかる通り、なんとも自然体で、ほのぼのとした味わいがあります。
内容は難しいものではありません。彼の生い立ちから、その後の浪人生活。旧制三高をたった1年で退学してしまうまでの経緯。また戦争にかり出され、そのためにフランス領インドシナでの刑務所雑居房での暮らしまでしなくてはならなくなったことなど、実にざっくばらんに書いています。
父親が医者をしていたおかけで、放蕩三昧の高校生活を過ごし、遊郭での茶屋遊びなども覚えます。そのあげくの退学でした。
三高といえば、エリートコースまっしぐらであったのに、それを捨てつらい軍隊生活に入って行くまでの内面の様子には、本当に歯に衣きせない心地よさがあります。
自分というものをどこまでもごまかさずに生きていく方法は、ただ正直になる以外になかったのでしょう。
彼の名前が突然出てきたのは、のちに『プレオー8の夜明け』で芥川賞をとった時でした。季刊芸術の編集長として、江藤淳に本格的な漱石論を書かせたことは有名な話です。
今回、この本を読みながら著者の生の声を目の当たりにしたような気がしました。
軍隊というものがいかに非人間的なものであるかを何度も述べているところは壮観です。
軍隊とは人間の価値を全て階級によって支配し、人々を統制して陸海軍の最高幹部が天皇という絶対神のもとに己の栄達を求めた大組織であった、と言い切っています。
同じような表現を何度目にしたことでしょう。出世競争のために死んでいった人々に対する気持ちには複雑なものがあるようです。
そこからこのタイトルが出てきたのかもしれません。人は自分の未来を知ることはできないのです。究極的に言えば、全ては運不運でくくられる世界なのかもしれない、とあらためて思いました。