過ぎてゆく光景 辻井喬 文藝春秋 1996年1月





 著者の本を読むのは本当に久しぶりのことです。
辻井喬というのは、もちろんペンネームですが、彼はむしろ詩人としての評価の方が最初高かった気がします。
今、話題の堤一族、堤清二氏の別名なのです。彼は池袋にあった当時、本当の田舎デパートだった西武を今日の形にし、さらにセゾングループを発足。パルコや西武劇場などの文化施設、ホテルなどの建設にまで手を染めました。そしてバブルの頃から、経営に失敗し、会社を追われるようにして、去っていきました。
今、話題になっている堤義明氏との関係にも複雑なものがあります。最初は彼が西武グループをつぐとみられていた時期もあるのです。しかし結局は異母弟の手にわたってしまいました。
兄弟の相克は外部の人間に知るよしもありません。そうした出自の暗さが、彼の作品には色濃く出ています。
父親に十分愛されなかったこと、妾腹にうまれたことに対するひけめなど、さまざまな要因が複雑にからみあっています。
最近も父親との関係を描いた小説『父の肖像』を上梓したばかりです。
さてこの短編集には、みな過去に執着し、そこから逃れられない人々の生き様が描かれています。
どの作品にも愛する人との別離が出てきます。それは時に息苦しい程の濃密さで、読む人間を圧倒します。
しかしここに描かれた愛の姿は、明らかに現代のものではないのかもしれません。浪漫とは何かということをつきつめていかなければ、こうしたストーリーは出てこないのではないでしょうか。
既成の情景では物足りない大人の愛の世界だといってもいいでしょう。4作品の中では「夕紅葉」というピアノ教師と、会社の犠牲になって自死していく銀行員との愛の姿にひかれました。