こころ熱く無骨でうざったい中国 麻生晴一郎 情報センター 2004年5月





 実に面白い本でした。読んでいる最中、思わず、そうだその通りだと手を叩いている自分がいました。
著者は学生時代から中国へ何度もでかけ、非合法で働いたり、再訪を繰り返してきた人です。
大学卒業後、テレビ制作会社に勤めたものの、やはり中国という国の持つ混沌に惹かれ、何度もこの地を訪れます。
最初の章「上海の眩暈」では女性との出会いを通じて知った中国が語られています。
また2章「ハルビン不法就労」では当時外国人を泊めなかった旅舎に偶然宿泊し、そこで持ち金を全てとられた筆者が、皆に同情され、中国人になりきることで、彼らの社会の裏表を描写しています。
この章がなんといっても全体の中では一番いきいきとして、面白いものでした。中に出てくる大新くんとの日々の生活はまさに中国人の仲間意識をよくあらわしています。
かれらは一度朋友になったら、とことん尽くします。財産、友人関係も含めてあらゆる便宜を友人のために図るのです。
それだけに日本人の彼には時にやめて欲しいと思うような過干渉すらあります。
しかしそれが中国人の人間関係のあり方そのものなのです。
その後、日本で知り合うことになる中国人のひとりは誰も日本人の友達を得ることができずに、悩み続けていました。自分の家に招待するということが彼らにとっての友情の証しともなるのです。しかしそうしてくれた友人は著者が最初で最後でした。
その後、北京にある大手新聞社の部長になった彼は、あらゆることを犠牲にしていつでも筆者の力になってくれます。それが中国なのです。
熱情と呼ばれる中国人の持つ人間関係のあり方について、ここまで詳しく実体験を綴った本はなかったのではないでしょうか。
筆者が不法就労に関わったこともあり、今まで発表するのを控えていたそうです。中国では外国人を家に泊めるだけでも法律に違反するのです。つい最近になって、やっと合法化のめどがたったというのが現状です。
中国人は熱いのです。しかしそれも時と場合によっては鬱陶しく感じることもあります。あくまでも相手のためを思い、いろいろな世話を焼いてくれます。もう食べられないというまで、もてなします。
いただきますなどとは言いません。ありがとうと言うこともどこかよそよそしいのです。家人に断りもなく食べ始めてしまうことが、本当の親しさをあらわすことにもなります。
それが親愛の表現というわけです。
遠慮をしている限り、彼らは心を開きません。このあたりはまったく日本人の感性とは違います。
現在も筆者のアパートは、いつ誰が来てもいいように一部屋あけてあるそうです。全く知らない人が友達の紹介ということで転がり込み、2ヶ月くらい滞在していくこともあるといいます。
人間関係が何よりも最優先する中国社会の断面を見る思いがします。こういう関係が厭だという人もいるでしょう。しかしそれが紛れもない中国なのです。
今回、この本を読んで実によくここまで書いたと感心することばかりでした。金銭に対する彼らの感覚もよくまとめられています。
これは中国を書いたというより、麻生さん自身の姿を、中国という国と人とを鏡にしてまとめたという方が正確なのかもしれません。
とにかく最後まで面白い本でした。