二度生きる 金子兜太 チクマ秀版社 1994年12月





俳人金子兜太の自伝です。彼は子供の頃から俳句と親しみました。父が大の愛好家だったのです。その影響もあって大学時代も経済の勉強をするかたわら、俳句を詠んでいたといいます。卒業後、日銀に入り、3日後には休職、そのまま激戦地トラック島へ送られます。
主計中尉として、比較的恵まれた地位にはいたものの、3分の1の兵士が戦死するという極限状況に置かれたことで、人生観が変わります。
水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置き捨てる
金子の記念碑的な句です。
駆逐艦に乗り、島を後にした時、彼はここで自分の人生は一度終わったと思いました。
戦地から戻った金子は日銀に復職します。しかし組合活動に熱心になるあまり、出世のラインからははずされてしまいました。東大卒でありながら、学閥に反対し続けた彼は、変わり者と周囲の目に映ったようです。
その後、金庫係などの仕事しかさせてもらえず、最後は課長で退職しました。しかし彼には俳句の道があったのです。とにかく死にものぐるいで真剣に句を作ることだけを考えました。一茶や山頭火の句を研究し、やがてジャーナリズムからも注目されるようになります。
朝日俳壇の選者の仕事や、カルチャーセンター講師の要請もありました。
人との出会いにも恵まれたといいます。俗に運鈍根といいますが、その全てが自分にはあったと述懐しています。
65歳を過ぎた頃、やっと芭蕉が見えてきたという話も興味深いものでした。人間の持つエゴイズムの側面を見て、それでも人間を描こうとしない限り、いい俳句はできないと彼は断言しています。
俳句は定型である故に、そこに逃げ込んではいけないのだとも。俳句の持つ固有性も次第に柔らかくなりつつある現在、その未来像が楽しみだとも語っています。
また植物と生きることで、自分が見えるという発言も興味あるものでした。いつもやさしい目で語りかけることが、新しい発見につながるのです。
この本はいつもテレビで見ている飄々とした金子兜太の人生を、そのまま垣間見るような楽しさに満ちあふれていました。