棟梁一代記 家柄木清光 講談社 2000年3月





筆者は宮大工です。家柄木と書いてえがらきと読みます。岐阜県に生まれたこともあり、幼い頃から合掌造りの家に親しんできました。
その縁からか、古い合掌造りの家の部材を移築し、保存するという仕事にたずさわるようになります。
今までに外国をふくめ、540件の移築をしたそうです。言葉で言えば簡単ですが、最初に屋根を全て取り、部材を一つづつはずしていきます。
口の中まで煤だらけになる大変な仕事だそうです。大きな家になると、これだけで1週間以上かかります。さらにその木をはずし、洗います。真っ黒になった水は特注の沈殿槽にしばらく置いて、上澄みだけを捨てるのです。
材木の量も10トントラックで10台以上という時もあります。それをしばらく寝かせておくのだそうです。
昔の大工の仕事の正確さにはいつも舌を巻くといいます。釘ひとつ使わず、みぞから抜いた部材は真っ白で、空気に少しもあたっていないのを証明しています。
さて合掌造りで一番面白いのは大黒柱はもちろんのこと、屋根の部分を支える釿木(ちょうなぎ)と呼ばれるものです。
これは屋根のカーブにあわせて曲がった木でなくてはいけません。しかし元々真っすぐに植林するのが原則ですから、谷に生えた天然の木(特にケヤキ)などを探さなければなりません。
これはもうほとんどどこにもないそうです。一本あると聞くと、雪深い山の中へ入っていって、必ず自分の目で見るという仕事です。この釿木は普通、6本、8本ぐらいだそうです。しかし、格式の特に高い家では16本入っていたこともあるとか。
自然の曲線の美しさを、どうしても燃やして捨ててしまうことはできないという、棟梁の執念が移築という仕事になっていったのでしょう。
今では古いものを大切に使うという思想がごく当たり前のことになりました。かつては一棟50万円で買ったということもあるそうですが、今では数千万円だしてもなかなか手に入らないといいます。
また家のある場所が山の奥だったりすると、部材を運び出すために、ヘリコプターをチャーターするということもするそうです。
ぼく自身、かつて白川郷で、合掌造りの家を廻るという仕事をしたことがあります。深い雪の中に居並んでいる家の美しさはなんともいえません。
あの頃はまだ養蚕も盛んでした。元々、この建築は養蚕のためのものなのです。
古い建物には先人達の多くの叡智がつまっています。そのことをあらためて考えるいい機会になりました。