飢えた孔雀 村野晃一 慶応義塾大学出版会 2000年12月





詩人、村野四郎は戦後詩の一時代を確立した人です。この本は彼の息子がその父の生き様を真横で見て、まとめたエッセイです。
詩人がどのようにして、詩を紡ぎ出したのか、また実生活ではどういう父であったのかということを、詩を中心に据えてまとめられています。
自分は詩人ではないので、本当の父の姿は捉えきれないと著者は何度も書いています。しかし、ここには実直なまでに詩への執念のようなものを燃やし続けた父親像が描かれています。
ぼくにとって村野四郎の詩は、教科書に掲載されていた「鹿」に始まります。

鹿

鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

これは撃たれる寸前の鹿の命を凝縮してとらえた作品として有名なものです。この詩をはじめて読んだ時、命に触れた気がしました。これは伊藤信吉の解説により、なおいっそう親しみのあるものとなりました。またこの本を読んで初めて西条八十の「蝶」という詩にも感動しました。村野四郎はこの詩を好んだといいます。

蝶      西条八十

やがて地獄へ下るとき
そこに待つ父母や
友人に私は何を持って行こう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸を取り出すだろう。
そうして涙しながら言うだろう。

一生を
子供のように、さみしく
これを追っていました、と。

また村野四郎はよくこの言葉を好んで書いたと言われています。詩人の内面というものはなんと複雑なものなのでしょう。
それは次のようなものでした。
「わが孔雀は永遠に飢えたり」